大人になること
今日はぐん!と一歩季節が先に進んだような気がしますが、私の頭の中は(春の情景探し)です。
春のモチーフは大好きなので、今までいっぱい作り、却って新鮮味を出すのが難しいのです。
たとえ、どんな小さなアップリケでも、単純なモチーフでも、うんと産みの苦しみを味わいます。
考える手助けに、自分の好きな絵本を片っ端から見直す、なんて作業もします。
絵本図書館の絵本だけではなく、二階の蔵書も。
いわさきちひろさんの絵は、あまりにも素晴らしすぎて、子どもを描くのに自身喪失しすぎて、嫌なのですが、やっぱりひもといてみます。
すると、多くの本に共通して載せてある文章に気付きました。
ちひろさん自身が書かれた[大人になること]という文です。
…人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります…中略…私は一見、しあわせそうな普通の暮らしをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気づかず、なにごとにも付和雷同していました。…中略…もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は20年以上も地味な努力をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。…中略…でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の生き甲斐なのです。若かったころ、楽しく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心を
よぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えて許せなかったこともありました。いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。これはきっと私が自分の力でこの世を渡っていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。
……なんだか励まされます。