意外とスグレモノ

2010年5月25日(火) ブログ
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夏はブルーに、秋冬は赤系に、と、キッチンのカーテンやテーブルクロスをしているのですが、テーブルクロスはどうしてもシミがつきます。
ビニールを敷くのは嫌なのでクロスの上にランチョンマットを敷いたり、違うクロスを重ねたり…。
食事のたびに結構めんどうくさかったのです。
そこで、(うちにはちょっと可愛らしすぎるかな?)
と思いながら、今年出来た[Yu’S総柄]のラミネート加工版を裁って敷いてみました。
端がほつれないのではさみでチョキチョキ切ったままです。
そして、お醤油をこぼそうがコーヒーがつこうが、サッと一拭きできれいにとれることがわかりました。
今まで あまりラミネート加工の布に興味がなかった私ですが、こういうものなんだなあ、と 自分の布でやっと体験できた次第です。
デザイン的には小さな子どもさんのおられる家庭ならピッタリのような…。
でも、ひょっとしたら
(じゃあ、ワタチも…)
って、クレパスを持ってきて、どんどん文字が増えていくかもしれませんね(^-^)
そんなテーブルクロスがあっても楽しそう…。

ところで[子ども]というと、ついMJの事を考えてしまう昨今の私ですが。
これは2000年12月、宗教専門サイトに掲載された彼の手記の抜粋です。
読んで下さい。

「中略…そのような理由もあって、教会は楽しみでした。私にとって「普通」になれる良い機会でした。教会の長老たちは、他の人々と分け隔てなく私に接してくれたのですから。彼らは、リポーターたちが私の居場所を突き止めて教会へ押し寄せた時も、いやな顔ひとつせずに彼らを迎え入れたのです。結局、リポーターたちも神の子という事ですね。
…中略…
父親になった時、神や安息日に対する私の考えは確固たるものとなりました。我が息子プリンスや娘パリスの目を見つめていると、生命の奇跡や美しさを感じます。一日一日が安息日のようです。子供を持つ事によって、この聖なる世界へ足を踏み入れる事を許されたような気がします。私は子供たちを通じて神に話しかけています。神からの恩恵に私はとにかく感謝するのみです。
他の人々と同じように、私にも神の存在を疑わざるを得ない時期もありました。プリンスが微笑み、パリスが笑う時、それらの疑いは消えてしまいます。子供たちは神からの贈り物です。いや、それ以上でしょう。彼らは神のエネルギーや創造力、愛の結晶なのです。子供たちの無垢さやいたずら好きな中にも神の姿を見いだす事はできます。
私が子供時分に最も貴重だったのは、自由になれる日曜日でした。自由の日、それこそが私がにとっての安息日だったのです。今は父親としての役目を果たす事によって、この自由で魅力的な毎日を体験しています。驚くべき事に、我々には毎日を素晴らしい日にする能力が備わっています―それが安息日なのです。子供時代の不思議にもう一度目を向ける事によってそれは可能となります。息子たちや娘たちに全ての心を捧げるのです。彼らと共に過ごす時こそが安息日であり、共に過ごす場所こそが天国なのです。」

べつにキリスト教徒でもなく、子供もいない私が(ウンウン)と素直に聞けます。
そして、今の(虐待云々の)若い親たちの精神的な支柱を本当に真面目に探さないと、と思います。