目から鱗
私が小学校五年生くらいの時、近所にキリスト教の教会が出来ました。
ディズニー映画や本で、すでに西洋被れしていた私はとんがり屋根にステンドグラスの可愛い教会をイメージしていましたが、建ったのはそうではなく、コンクリートの普通のアパートみたいな建物。
うちの父もけっこうミーハーなもので、自分は無宗教のくせになんとなく子どもの教育に良いと思ったのでしょうか?
そこで行われる[日曜学校]なるものに
「行きなさい」
と…。
(え〜!?)
と思いながら父には逆らえず通い始めましたが、そこで渡された[新約聖書]なるもの、読んでみてもなんだかあまり面白いとも思わず、若い可愛い女の先生が優しく教えてくれてもちっとも興味が持てませんでした。
以来、こんにちまで私と聖書との関係はそんなもの。
Iさんとはよく本の貸し借りをしますが、そんなIさんから
「先生、今度読んだ本、とーっても(よく解り)とっても良かったのでよかったらどうぞ」
Iさんは10月に闘病を支えてきた旦那さまを亡くしたばかり。
そしてIさんはご実家が寺院で、子どもの頃から仏教の勉強もしてこられ、私とは全然違います。
正直、(今さら、聖書か〜)
と、あまり嬉しくありませんでした。
ところが…。
手渡してもらった本は決して分厚いわけではない文庫本です。
[イエスの言葉〜ケセン語訳〜]
東北地方岩手県大船渡市にお住まいのお医者さんが2011、3、11の大震災大津波以降に書かれた書なのです。
これを読んで、まさに目から鱗!
今まで「〜〜なものは幸いである」
とか
「敵を愛しなさい」
とか
(そう言われてもなあ?)
と、あまり意味が解らず、とにかく自分にとって遠い物だったイエスさんの言ってることが
(そうなんや!)
と、とても身近に感じられ、理解できたのです。
(復活した、なんて本当に実在の人物だったの?)
と半信半疑だった私がすっかり親しみを感じる人間的なイエスさんに早変わり!
そこのところが長年のクリスチャンの一部の方には気に入らないみたいですが…。
解説書というよりは、未曾有の災害に立ち尽くしたヒューマンなお医者さんのエッセイ的な文も出てき、涙を誘います。
私のへたな説明より、他の読者のカスタマーレビューをうつしてみます。
「2011年を締めくくるにふさわしい素晴らしい宗教本。
著者のケセン語訳聖書の入門編であると同時に、震災という苦難の後に何かを信頼して活き活きと生きていくことの意味を深く考えさせてくれる。
「愛する」→「大事にする」
「悔い改める」→「心をすっぱり切り替える」
「信仰の薄い者」→「頼りにならないやつ」
といった斬新な訳を著者が選択するに至った理由がわかりやすく述べられながら、自分の生きる土地の人びとと言葉に対する愛情があふれまくってきて好感触である。
医師という自然科学の徒の観点から聖書の「非科学的」な記述をどう解釈するかというところも注意を引く。
そして、瓦礫の山と無数の見知った死者の前で人が立ち尽くした時、聖書は、イエスの言葉は、何をしてくれるのか。
「本当の幸せ」について少しでも考えたことのある方なら、キリスト教信者ならずとも、一度は読んで損のない作品だと思う」
あれ?センセ、マイケル以外の話題なのにえらく長い文ですネ?って声が聞こえてきそうな…。
いえ、いえ、何を隠そう、総てがマイケルの生き方に繋がっているのです。
この話は又いつか…(^_-)