1945年のクリスマス
日曜日の朝日新聞には新刊の本や話題の本の紹介が載っていて、毎週、
(あれも読みたい。これも読みたい。)
と思いながらそのままになっていることが多いのです。
星の数ほどある本の中から実際に手にとって読む、という本との出会いは何かきっかけが要るものですね。
[永遠の0]だって、Mさんが
「よかったですー」
と、かして下さらなかったらきっと出会ってないと思います。
この[1945年のクリスマス]という本はクリスマスの絵本や読み物を検索していた連れ合いが
(1945年のクリスマスってなんだろう?)
と、興味を持って取り寄せた本です。
きっと不思議な違和感を持ったのかもしれません。
だって1945年というのは終戦の年。
そんな年にクリスマスとは?
著者のベアテ・シロタ・ゴードンさんはロシア系のユダヤ人。
著名なピアニスト、レオ・シロタの一人娘として5歳から15歳まで日本に住んでい、バイリンガルのベアテさんはなんと終戦直後、GHQ の一員として22歳の若さで来日、日本国憲法の草案を書いた人なんだそうです。
そのベアテさんが焦土の東京へやって来た日がちょうど1945年の12月24日クリスマスイブだったというわけで内容はクリスマスとはぜんぜん関係ありませんでした。
でも、読んでびっくり。
またまた知らなかったことばかり。
私自身、日本国憲法は素晴らしいもので改訂なんかして欲しくない、と思っていますが、改訂したい派には なんとなく今の憲法は終戦直後にアメリカの押し付けだったから…みたいな意見があるのを耳にします。
でも、この本を読んだらその草案を作ったアメリカ人達、法学博士や弁護士や政治学、行政学博士号を持つ彼らが、日本に民主主義を根付かせるために、世界中の憲法から学び、当時の彼らが持っている理想の憲法を作ろうとしたのが良く解ります。
ベアテさんが担当したのはまさしく人権委員会の中の[男女平等の権利]
「私は、日本の国がよくなることは、女性と子供が幸せになることだと考えていた。」
というベアテさん。
その信念のもとにいろいろな国の憲法を勉強、事細かに女性と子供を守る条項を書いていってくれました。
ところが悲しいかな、憲法はそれぞれ多岐に渡った条項があり、あまり長いわけにもいかない。
そんな訳でベアテさんの書いたものは大部分切り取られました。
後で民法等で取り上げたらいいと…
ただでさえ、問題が山積みな戦後日本。
正直、切り取られた部分が法律で認められていくには大変な年月が必要だったのですね。
最近話題になった非嫡出子の権利もベアテさんはその当時にうたっていたのです。
それにしてもトップシークレットで進められていたGHQ製の憲法草案を初めて示された日本政府の驚きよう、慌てようは…
日本側は相談してから次々に(日本人には適さない点)を指摘。
「女性の権利の問題だが、日本には女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」
と、言ってきたそうです((((;゚Д゚)))))))
今から60何年前にはそんなだったのですね。
立場が違うと物の考え方も感じ方も様々だとは思いますが、一度読んでみてほしい本です。