本当の春とは?
文明はさまざまな便利さをもたられてくれます。
義父も入院して1ヶ月余り。
お陰様で快方に向かっています。
もちろん、歳がとしですから問題は山積。
これからどんな風にしていけばいいか?皆で考えます。
スマホも便利です。
今日も、病院にいる私に連れ合いからのメッセージ。
「卒業生の○○君が一家で来てくれてるよ」
「え?○○君って、どっちの○○君かな?下の名前聞いて。写メもして」
「あー、やっぱりあの色白だった○○君ね!」
と、いう風に…。
でも、文化的な生活を維持するためにどうしても原発が必要か?というとそういうものではないと思います。
今日読んだ[クレヨンハウスブックレット007]
東京新聞デスクの田原牧さんが書いておられました。
「ーーどういう将来像が正解なのかはいま、わたしには断言できません。もっと議論を煮詰めていく必要があります。
結論はどの選択が幸せとむすびつくかであり、その際、難しいのは 幸せの形は人によってさまざまだという点です。
しかし、幸せに多様性はあれど、被ばく労働者という人身御供(誰か被ばくする労働者がいなくては、すなわち命を削って人身御供になる労働者を抜きには原発は成り立たない)や、「トイレのないマンション」に例えられるように数万年という単位で未来の世代にツケを残していかざるを得ないようなシステムは、それだけで不幸であると言い切れます。」
写メに写っていた色白だったO君にそっくりの可愛い幼いO君の息子。
そんな子ども達のことを考えたら自ずと答えは導かれますね。