2階部分

2011年2月28日(月) ブログ
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毎年ながら 2月が28日までしかないのを恨めしく思います。
作品展まで 後、2ヵ月を切り、お店を連ねた2階部分は2月中に一旦終える予定でした。
3月からは通りにかからないと…という訳です。
今日はYouTUBEも諦め、頑張りましたが、予定まで行きませんでした。
あ〜あ、もしも2月が30日まであれば、二人の、目をつけたり、髪の毛に刺繍をしたり、手すりをつけたり、看板に文字を入れたりできたのにな。
仕方ないので私だけうるう年にして明日は2階部分。
明後日から通りの下絵に入ります。
いよいよマイケル父子の入れ方、考えないと…。

晴れの日に

2011年2月27日(日) ブログ
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今週半ば頃からは寒の戻り、との天気予報。
でも、今日はうららかなお天気で、ドライブがてら神戸方面からも いろいろなお客様にいらしていただきました。
先日も来店いただいたAさんは迷われた末、(やっぱり!)と、このウェディングのキット[晴れの日に2]を買いに来て下さいました。
同じ職場のどなたかがご結婚なさるのでしょうか?
職場のお仲間何人かと共同制作なさるそう…。

ネットショップにもアップしている[ウェルカムボード縦型]の元になったこの作品、ずいぶん前に作ったので 今日、下ろしてみるとレースが少し黄ばんだりしている部分があったり…。
アンティークっぽくなってきましたよ。
きっとAさん達が今度作ってあげらる分は真っ白で綺麗でしょうね。
この作品は、中央のアップリケの他、リボンししゅう、大きなウェディングリングのパッチワーク等、少々凝っていますが、皆さんで協力して作って贈られるなんて 幸せな花嫁さんですね。

オモチャのお医者さん

2011年2月26日(土) ブログ
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私の好きな男性像は…?
とにかく、優しい優しい人です。
大声で怒鳴る人なんてとんでもない。
静かで、思いやりのある優しい人…。
大正生まれ、ワンマンでちょっぴり封建的だった父への反動でしょうね(^^ゞ

そんな訳で子どもを見るマイケルの優しい目に惚れました。
でも、この作品は マイケルを知る、もっと以前に作ったもの。
(こんな仕事をしてる人がいたらいいな)
故障したオモチャやお人形を治してくれる優しいお兄さん。
ところが、本当におられるのですね。
今朝の朝日新聞の〈兵庫〉ページ。
[仕事の風景]と題されたコラムに写真入りで大きく紹介されていました。
その記事

――音が出なくなったアンパンマンのキーボード、スイッチを押しても動かなくなったロボット…。壊れたオモチャをボランティアで修理してくれる[おもちゃ病院]が神戸市垂水区にある。坂本幾次さん(77)は、県内ただ一人のおもちゃドクターだ――

おられるんですね〜(^O^)
眼鏡をかけた白髪の、優しそうな年配の男性が笑顔で写ってらっしゃいましたよ。

なんとかなりそう

2011年2月25日(金) ブログ
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去年のいつだったっけ?
日本紐釦さんのアンテナショップ[Chuko]を覗いた時、一目惚れして買った世界地図柄のUSAコットン。
春の作品展に合わせて(何か作ろう)と、まだ店には出さず、アトリエに置いては横目で見て
(何にしようかなー??)
と思案していました。

世界地図、というと、思い出すのは以前勤めていた小学校での国際教育。
結構、派手好きの校風?
図工科は他の学校より厚遇されていたような気がします。
空き教室を[国際交流教室]と名付け、その壁面に6年生が制作した大きな世界地図をかけることになりました。
ベニヤ板を電気糸鋸で切り取った世界地図。
土台のパネルは昔とった杵柄で、私がトントン作りました。
お察しの通り、子供達はそんなふうに板を切ったり、研いたり、色を塗ったりニスを塗ったりする作業が大好き!
世界の国々の形を調べながらするのでよけいに楽しく。
そこまでは共同作業ですが、個々には、自分の選んだ国の民族衣裳を着た子どもを、今度は版画用のシナベニヤという板でくりぬいて作り、その国の上に貼りつけました。
しかもその地図が完成した後、男の先生達が協力して各国の首都の位置に丸く穴を開け、豆電球をはめ込み、横に取り付けた盤で操作すると選んだ国の首都が点灯する、というふうにして下さったのです。なかなか楽しい学校でしたよ。

なので、この地図柄の布を見た時すぐに、キルティングした上に可愛い民族衣裳を着た子供達をアップリケ!って思いましたが、ちと無理。
小さすぎます(><)。

いっそ大きな柄を生かして、そのままスケッチブック入れに?とも思いましたがそれだけではつまらない…。

先日、撮影のために反物も2階に避難させていましたが、それを戻す時、(きっと気がかりな件が一つ終わったからですね)フッと
(そうだ!あの[HEAL THE WORLD]の布と合わせては?!)
と、思い立ちました。
並べてみると、はたして何とかなりそうな…。
なんだかうれし〜くなってきました。
日米合作…ってちょっとたいそうでした(^^ゞ

プロセス撮り

2011年2月23日(水) ブログ
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テレビニュースでは、まるで数年前の神戸の姿を見ているような、信じがたい町と崩れたビルを映し出しています。
ニュージーランドも日本と同じように地震の危険大の国だったのですね。
日本の人であれ、現地の人であれ、ともかく早く救出されますように祈るばかりです。

さて、そんな日ですが、私達は粛々と仕事を進めなくてはいけません。
今日は雑誌の取材兼、作品のプロセス撮りで、東京からカメラマンさんを含め3人が来られました。
薄雲は広がるものの、まずまずのお天気。
真剣かつ和やかなうちに撮影はどんどん進んでいきました。
こんな時いつも、自分の作ったものがプロのカメラマンさんによって写してもらえること、しみじみ嬉しく思います。
今日の作業も、今日までの準備も少々大変でしたが、いつもいろんな方に支えられて一山一山越えられる幸せを感じました。
そして、いろいろな仕事に携わっておられる方の話を聞けることもとても楽しい。
Iさんデリバリーのお弁当をいただいている時、無事撮影終了後のお茶の時、連れ合いはいろいろとカメラマンさんに伺っていましたよ。

3時すぎには東京に帰っていかれ、さあ、又次の山へ向かって… 。

早春ランチ

2011年2月22日(火) ブログ
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明日のための準備もほぼ終えて、今日は以前からの約束通り、皆で お料理上手のIさんちへランチをいただきに行きました。
21歳、新人の彼女も一度、連れていってあげたかったのです。

今日は本当に嬉しくなるような青空!
このまま春に突入?と思ってしまうような陽気で、メニューも早春らしい爽やかさ。

〈春の温野菜サラダ〉に始まり、〈春人参のスープ〉、〈レンコン団子〉、〈寒鱈の柚子南蛮漬け〉〈春キャベツの重ね蒸し〉〈大豆ご飯〉そしてフルーツとアイスクリームのデザート、フルーツ・ティー。
小柄なMさんも沢山召し上がってたなあ。

レシピをもらったので、早速私も 今日、生協から届いた春キャベツで重ね蒸しをしましたよ。
でも、不思議と、Iさんに作ってもらった方が美味しい…。

すっきり

2011年2月21日(月) ブログ
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ハーバード大学のマイケル・サンデル教授、初めて聴いたのは英会話用のCDでしたから、何を言っておられるのか解りませんでしたが、この間の東大での授業、今日のテレビ番組出演と、日本語訳で聞けてヨカッタ。
とっても素敵ですよね。
学識がある、頭が切れる、それだけではない、思いやりとユーモア、そしてコミュニケーションにおける素晴らしい表現力を持っておられますよね。
もっともっといろんな例をあげて、教えてほしいです。

さてさて我が家はプチ・年末状態。
整理整頓、掃除、掃除。
たま〜に取材をしていただく時はいつもそうです。
ショップやカフェや絵本図書室だと、毎日きれいにしているのに、たいがい撮っていただくのは私の仕事場なので、普段のごったがえしたものを とりあえず一時避難(;^_^A
この引き出しの前にも、端切れが入ったカゴが3つも重ねられて、その上に 作りかけのキルトや下絵の紙を乗せて、って感じで…。
久しぶりにすっきりさせると、懐かしい思いが甦ってきました。
これはずっと以前にイギリスで買ったアンティーク。
現地では安価なのに、送料や関税、その面倒さに
(そっか、多少高くついても日本で買うほうがらく…)
と、確か、思った品です。
何を入れるタンスなのかな?、引き出しがいっぱいついています。
最初、引き出しの中に色とりどりの粉が入っていたので、ひょっとしたら絵の具屋さんのだったのかも?
今は糸やボタンやホビーラのデッドストックのカットクロスを入れたりしています。
なにぶん、ガタピシ、取っ手がとれたりしていて、使い易いとは言えませんが、今やすっかり我が家に馴染んでくれているような気がします。

日増しに大きく

2011年2月20日(日) ブログ
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去年、ママの手編みの帽子のモデルをしてくれた時と比べても 一段と女の子らしくなったHちゃん。
本当に子どもの成長って速くて…。
ママが私の教え子なのですから、なんとも…。

今日はお祖母ちゃんに縫ってもらったというフード付きの洒落たツィードのコートを着せてもらっていましたが、カフェに入ると、ちゃんと自分で脱いでいましたよ。
もう2歳だもんね。
ドールハウスを眺めてくれるのはやっぱり変わらずでヨカッタ。
できればゆっくりゆっくり大きくなってほしいけど…。

スクリーム

2011年2月19日(土) ブログ
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明るい日差しの中、沢山の若いお祖母ちゃま達が、一人で運転して、又は可愛いこの春新一年生になる孫を連れて、レッスンバッグ等の材料探しに来て下さいました。
神戸新聞の播磨版に新しいYu’s Paletteの布のことを取り上げて下さったからです。
吊り下げられた2つのパネル柄の絵を見て
「かわいいねえ」
と皆さん言って下さいますが、やはりどなたも
「これはなんと書いてあるの?」
とか、
「なんでHから始まってe.a.l?」
とは聞かれません(;^_^A
それはきっとべつにどうでもいいことなのでしょうね。
私もあえて
「これは実はこうこうマイケル・ジャクソンの歌の…」
とは言いません(^-^)
でも、このブログではいろいろと書かせて下さいね(^_-)。
夕べ遅く、ネットで知った記事です。
彼の曲[Scream]。
そのショートフィルムは妹ジャネット・ジャクソンとの息の合った超絶ダンスと、彼のショートフィルムの中でも一番制作費用のかかった、凝りに凝ったものとして有名です。
そして’93年の児童虐待疑惑事件以降、初めて各賞を総なめした素晴らしい作品です。
(ご覧になっていない方はぜひ[You−Tube MICHAEL JACKSON SCREAM]で検索してみて下さい。スミマセン、私がすぐ貼れるワザを取得すればいいのですが…)
ちなみにスクリームとは(金切り声をあげる)とかいった意味です。
そんな作品が作られていた時のエピソードです。

[Scream]の美術スタッフだったリチャード・バーグ自身の話したこと。

―ユニバーサルスタジオの3つのスタジオで、大予算で撮影されたこのショートフィルム。
特にマイケルは座禅のシーンのセットを見た時、素敵だと声をあげて感激していました。

そのセットの中で 天井部分の修復のため のこぎりを持って12ステップのはしごの上で作業中、私は左の薬指の3分の1を誤って切断してしまったのです。
私は騒がず そっと指を包み セットを出ましたが、ディレクターの目にとまり、外のコンクリートの上に横たえられました。
スタッフたちも事情を知り、周りを取り囲んでいた時、マイケルが現れ、私の左手を見、そして私の目を見たのです。

マイケルは私の右側に膝まづいて、私の右手を優しく包みました。
まっすぐ私の目を見て、どれくらい残念であるかを私に繰り返し言い続けました。そして彼は目に涙をためて、救急車が来て、私を運び去るまで、彼は私の手を握り続けました。
この話は 彼が生きていた時に…、このように優しかったマイケルのことをもっと早く話せばよかったと思っています。

ストモス日和り

2011年2月17日(木) ブログ
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昨日の本当に気持ちも明るくなるようなお天気と変わり、今日は朝からどんより曇り空。
夕方からは雨が降ってきました。
ファンの間ではこんな日、[ストモス日和り]で通ります。??

名曲の多い彼の曲の中でも、名曲中の名曲では?と思っている[Stranger In Moscow]の冒頭にザーザー降る雨の音が被るし、白黒のい寂寥感ただようショートフィルムにも冷たそうな雨が降ってくるからです。

宮崎県の噴火による土石流が雨によってより危険な状態に…というニュースは そんな甘っちょろい感傷を反省させますが、でも、又全然違う問題として、マイケルが受けた衝撃は一つの社会問題ですし、未だにうやむやにされている感があり、ファンとしては納得できません。
れいの大西さんの訳と解説でよく理解できた歌の意味を紹介させてくださいね。

[ストレンジャーインモスクワ]以下大西恒樹さんの文より

この曲は1993年のアルバム[HIStory]からの一曲です。幻想的な白黒のビデオが印象的ですが、何とも言えない、冷たい、寂しい感じが漂っています。93年と言えば、ちょうど少年虐待の訴えを起こされた年で、内容は明らかにそれに伴うマイケルの心の動きを示していると思われます。おそらくその時に感じていたことと、モスクワの風景がインスピレーションを生み、この曲に昇華したのでしょう。しんしんと冷えたマイケルの心が伝わってくるようです。

「僕は雨の中を彷徨っていた
顔を隠し、狂いそうになりながら。
突然、一気に突き落とされる奈落の底。
晴れの日は遠く、来そうもない。
クレムリンの影が僕を咎め、スターリンの墓が僕を否定する。
何度もそれは繰り返された。
雨が僕を、僕のままでいさせてくれたらと願う。

どんな気分だと思う?
どんな気分かわかる?
もし君が孤独で 心の中が冷えきってしまったら。

自分の名声に裏切られ
頭の中は終末を迎える。
KGBが僕をつけまわしていた。
僕は名前なんかいらない。僕のままでいさせて。
なのに物乞いの少年も僕の名前を呼ぶ。
幸せな日々が来れば痛みを消してくれるのに。
何度も繰り返しそれは起こる。
いっそ名前を捨て、ありのままでいさせて。

まるで誰も知らないモスクワに一人でいるみたいだ。
モスクワにいる見知らぬ異邦人。
僕らは危険を告げている。
僕らは危険を告げているんだよ。
モスクワの見知らぬ異邦人になったみたいだ。
危ないって言っているんだよ。
これは危ないことなんだよ。
モスクワで一人きりになったみたいだ。
僕は孤独に生きている。
僕はとても孤独なんだよ。
モスクワで一人なんだ。」

マイケルはこの曲をモスクワで書いたかもしれませんが、決してモスクワにいる自分の状況を書いたのではないと思います。むしろ、しんしんと冷える雨のモスクワにいるイメージと、自分の置かれている状況をリンクさせて曲を書いたとしか私には思えません。危険というのは、そういうこと(いわれのない告発で酷い目に会う状況)が簡単に起こりうる「アメリカ」社会の危険について言っているのだと思います。考えてみれば、それをモスクワを引き合いに出してアメリカを表現するというアイデアが、その状況の中から生まれるマイケルという人は、つくづくアーティストだったんだなあ、と思います。

以上[マイケルの遺した言葉]からの抜粋

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