ときどき、お茶を飲みに来て下さるMさん。
世界的なヴァイオリン奏者、樫本大進さんとお知り合いか何かで、毎年姫路と赤穂で開催される[ル・ポン](架け橋という意味だそう)という国際音楽祭の世話をなさっています。
今日も
「新しいポスターが出来たので貼って下さい」
と、来店。
ついでにお茶とケーキ^_^
静かに本を広げながらお茶されてたMさんが、
「スミマセン、この、流れている曲はなんですか?」
と、聞かれました。
3年ほど、しょっちゅう流しているBGM。
マイケルの曲を日本人がオルゴールに編曲したCD[Heal The World -orgel colection]
私がいさんでお教えしたのは言うまでもありません。
「とってもいいですねー。読書にぴったりですね。」
そうなんです、そうなんです。
彼の曲は[スリラー]や[バッド]のようなビートの効いた曲ばかりではなく、とても癒される曲も多いんですよ。
そんな、本当に多くの名作を生んだ彼の生涯、特に後半生が思ってた以上に(痛み)との戦いだったということが 今回の裁判を追っていくとわかります。
昔からスポーツ音痴でフワフワと生きてきた私は特に痛むところもなく、その辛さは想像するしか仕方がありませんが、身近な方でも慢性の腰痛や頭痛、足の痛みを抱えながら、紛らわせながら暮らしておられる方も少なくありません。
マイケルの最初の災難は1984年、[スリラー]で大成功をおさめた絶頂期25才の彼が、ペプシコーラのCMの撮影時、ペプシの撮影スタッフのミスによって頭頂部に大やけどを負ったことです。
若いからか、次の日には退院し、一週間後には笑顔で公の場に現れ、またペプシからの慰謝料は全て[火傷センター]設立のために寄附してしまったくらいですから
(大事に至らなくてヨカッた…)
と、誰もが思っていたと思うのですが…
今から考えればそんなものではなかったのですね。
その事故から何年か後、火傷した頭皮から普通に髪が生えるように手術を受けます。
頭皮と頭蓋骨の間にバルーンを埋め込み、火傷で縮れてしまった皮膚を伸ばす、というものです。
それが神経に触れて、それ以来物凄い頭痛に悩まされるようになったのです。
医師に処方された鎮痛剤が必要でした。
そんな時です。
可愛がっていた男の子の父親に[児童虐待]という、およそ彼にとっては最逆(そんな言葉無い?)の疑惑で訴えられたのは…
当時、[デンジャラス・ワールド・ツアー]の真っ最中。
神パフォーマンスと笑顔でファンの前に立っていた彼
鎮痛剤の量が増えてしまいました。
いろいろな人の勧めで、やむなくツアーをメキシコを最後に中止。
イギリスの施設に入って依存症治療を受けました。
そして、1999年にも、ダンサーとして、パフォーマーとして避けられない、大怪我をドイツミュンヘンでします。(この時も舞台装置の係りのミスです。)
普通の人なら致命的な怪我にもなりかねないところ、さすがに運動能力の高い彼は落下の着地で機転をきかせますが、やはりこの時から大変な腰痛に悩まされ、又もや、鎮痛剤依存に…。
この時は三人の子供のために、とまたまた再生医療専門の医師に頼んで依存症からの脱却の努力を始めます。
そうして乗り越えようとしていた2003年。
二度目の疑惑、裁判。
それから6年。
子ども達のためにもカムバックしようと[ディスイズイット]コンサートを開くべく、 リハーサルをしていたのですが、リハーサルをするためには眠らなきゃ、慢性の睡眠障害を抱えていた彼は、医師を信じ、間違った処方を受け続けて…。
彼は決してよくミュージシャンにあるような快楽のために薬物中毒になったわけではありませんでした。
ざっと書いたつもりがかなり長くなってしまいましたね。
ちょっとしたきっかけで書いたのもバレバレf^_^;)
でも今、現在でもセンセーショナルな感じでしか伝えられない彼のこと、ファンでない方にも少しでも知ってもらいたく、一度きっちり書かせていただきたかったのです。