元気をもらう

2013年12月30日(月) ブログ
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皆さんも年末のあれこれ、頑張っておられることと思います。

今年も、今日と明日で終わり。

ホントにね。
年が明けたからといって激変するものがある訳じゃないのにやっぱり(年内に…)
と、思いますよね。

それで自分勝手にバタバタ忙しくしてうまくいかないとイライラして…

うちではとっかかりが遅かった上に新しいコピー機が上手くいかず、年賀状作りが遅れに遅れ(>_<) (すみません、年賀状をお付き合い下さっている方、届くの遅くなると思いますm(_ _)m) まったくキャノンさんは何を持ってきてくれるやら( ̄^ ̄)ゞ ところがそんな些細な事に憤っている私を諭してくれるのはやっぱり良書です。 一日たった15分くらいの読書。 これがまたいいのです。 だっていつかは読破できるのですから。 これもきっと連れ合いがタイトルに惹かれて購入したものに違いありません。 ジャーナリストの伊藤千尋さんが書いた[一人の声が世界をかえた!] まだ読み始めたばかりですが、「はじめに」からめちゃ元気出ます。 ちょっと抜き書き… 「各地の取材の中で感じたのは、社会の変革の背景には必ず、一人の人間の意志があるということだ。 孤立する中で強権に立ち向かい、抵抗し、ついには社会正義をもたらしたのは、この世界を変えたいという意志である。 それが行動に結びついたとき、夢はかなった。 そうした現場に居合わせた身からすると、歴史は運命づけられたものではなく、行動する人々が新たな歴史をつくるのだと強く実感する。 どんな境遇に置かれても自分流の人生を歩み、自分の暮らしよりも周りの社会を少しでも良くしたいと考える人々に、私は世界中で会った。 なんのために違う世界に行くのか。 それは日本では思いもつかない状況を知ることによってこの日本をより良い社会に変えていくためだ。 中米コスタリカでは日本と同じく平和憲法を持っているが、日本と違って本当に軍隊をなくし、さらに平和を輸出することで周囲も平和にした。 これを見ると、「軍隊のない国家など理想に過ぎない」という今の日本のタカ派の見解は時代遅れだと思える。 中略 そう思いながら、今の日本を見ると悲しくなる。 人は自信をもって生きていると言えるだろうか。 理想を持って生きていると言えるだろうか。 何をするにもだれかの指示がないと何一つ出来ず、自分の状態が悪いのは社会が悪いのだと、すぐに他人に責任をかぶせる。 そんなことは、世界には通用しない。世界の常識は、自分の道は自分で切り開くということだ。後略」 第一章にはアメリカの、9・11以降の素晴らしい黒人女性下院議員の方の話が…。

プレイマット

2013年12月27日(金) ブログ
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これもMバーバの手作り^_^

絵本好きのNちゃんが選んでくれたYu’s4のパネル柄2枚続きでプレイマットを作って下さったんですね。
嬉しいです^_^

そうそう、こんなパネル柄も新年3日間(9、10、11日)は2割引きになりますよ。

冬休みなのでほっこり、こんな動画はいかがですか?(悲しいけれど…)
マイケルの歌ではないけれど良い歌です。
歌っているのはルーサー・バンドロスかなあ。

仕事納めの日

2013年12月26日(木) ブログ
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2013年のゆう風舎、実店舗は明日からしばらく年末年始のお休みをいただきます。

長い休みなものですから
「先生、どっかへ?」
って聞いていただきますが…どこにも行きませんよ^_^;
明日から、片付け、大掃除、整理整頓…
あ、おんなしことか!
本当にいくら日があっても足りないんです。

年賀状もこれからです。

御節もいちおう作りますよ^_^;

それから…やっぱり制作もがんばります。
年が明ければあっという間に春が来ますもんね。

この作品はKさんの。
昨日のクリスマス、
「完成したので今日から飾ります」と、写メしていただいたものです。

Kさんの(初ル・メール作品)
優しい上品な色彩の布を選んで、丹念な仕事ぶりで美しい作品に仕上がりました。
Kさんとル・メールさんはとっても合ってると思います。

でも、次作は違う作家の絵で作られるので、これまた楽しみです。

皆さんもせわしい年末が終わったら、好きな針を持てる時間がとれるといいですね。

2014年も楽しんでもらえるように、いただいた貴重な冬休み、いろいろ準備もしますね。

メリー・クリスマス!

2013年12月25日(水) ブログ
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穏やかに晴れたクリスマスです。

定休日の今日は、ちょっとゆっくり朝ごはん。
撮りためておいたBSのフランスのクリスマスの模様を映した番組を見ました。

パリのクリスマスは各デパートのショーウィンドウがすご~い‼︎
勢ぞろいしたクマさんのカンカン踊りを子どもが喜んではりついて見ています^_^

「やっぱり動かないとなぁ~」
と、ため息の連れ合い~_~;

アルザス地方ストラスブールのクリスマスはパリと又ゼンゼン違う趣き…

(よし!元気でいてダウンジャケットの似合うおばあさんになって、いつかクリスマス前のストラスブールへ行くぞ!)
と、やたら前向きな気持ちになったところで、さあ今日はショップのクリスマスグッズ一掃片付けです。

ときどき休憩に部屋に戻ってきてメールチェックすると、嬉しい画像のプレゼントがいろいろ…。

これはMさんの娘さんのNちゃんから。

この間Mさんが縫ってあげた(サンタさんワンピ)、昨日がお披露目だったんですね。
超カワイイ

出来ました

2013年12月24日(火) ブログ
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出来ましたよ!
私が作ったんじゃないけれど^_^;
Hさんの力作。
予想以上の出来栄えにビックリ。
細かい刺繍が見事です。
みつけた時から
(これはきっと作れる!)
と、思っていた私の長年の願いがHさんによって叶った感じです。
Hさんも大喜びでヨカッタ。

ところで、
メリー・クリスマス!

皆さんはどんなイブをお過ごしでしょうか?

今日一日私は100%仕事モードでしたが、それでも皆で美味しいシュトーレンをいただいて楽しかったです^_^

皆さんも心穏やかなクリスマスでありますように…

クリスマス絵本展最終日

2013年12月23日(月) ブログ
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夕食後。
ブログを書いている私の横の絵本図書館ではもう[しかけ絵本展]のディスプレイの解体?が始まっています。
ホントウに、(後片付け)のことを考えるとあんな風に飾れないと思いますが、やっぱり
(お客様にワクワクしてもらいたい)
(子ども達を喜ばせたい)
と、思ってですよね。

でも、ヨカッタ。
その甲斐あって、昨日も
「やっぱりクリスマスはゆう風舎」
と言って加古川からNさん夫妻が来てくれたし、今日最終日もいろんな所から観に来ていただきました。

その中には懐かしい人が思いがけず(((o(*゚▽゚*)o)))
Mちゃん一家です。

ゆう風舎に絵を描きに来ていたまだ若かったMちゃん。
「私、ちゃんと結婚できますかね?」
と、心配していたMちゃんもいつしかFさんという好青年と出会い、相生から一宮へお嫁に行っちゃいました。
二人の子宝にも恵まれ…。

それでもMちゃんの方はときどき顔を見せてくれていましたが、Fさんは本当に久しぶり!
何年ぶりかに見るFさんは昔のまま、好青年のまま!でした^_^

明日はいよいよクリスマス・イブ。

きっと明日はあの曲!なので今日はこの曲を。

1984年、主にイギリスとアイルランドの若いミュージシャン達によって構成された[バンド・エイド]の[Do They Know It’s Christmas?]です。

1945年のクリスマス

2013年12月22日(日) ブログ
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日曜日の朝日新聞には新刊の本や話題の本の紹介が載っていて、毎週、
(あれも読みたい。これも読みたい。)
と思いながらそのままになっていることが多いのです。

星の数ほどある本の中から実際に手にとって読む、という本との出会いは何かきっかけが要るものですね。

[永遠の0]だって、Mさんが
「よかったですー」
と、かして下さらなかったらきっと出会ってないと思います。

この[1945年のクリスマス]という本はクリスマスの絵本や読み物を検索していた連れ合いが
(1945年のクリスマスってなんだろう?)
と、興味を持って取り寄せた本です。
きっと不思議な違和感を持ったのかもしれません。
だって1945年というのは終戦の年。
そんな年にクリスマスとは?

著者のベアテ・シロタ・ゴードンさんはロシア系のユダヤ人。
著名なピアニスト、レオ・シロタの一人娘として5歳から15歳まで日本に住んでい、バイリンガルのベアテさんはなんと終戦直後、GHQ の一員として22歳の若さで来日、日本国憲法の草案を書いた人なんだそうです。
そのベアテさんが焦土の東京へやって来た日がちょうど1945年の12月24日クリスマスイブだったというわけで内容はクリスマスとはぜんぜん関係ありませんでした。

でも、読んでびっくり。
またまた知らなかったことばかり。

私自身、日本国憲法は素晴らしいもので改訂なんかして欲しくない、と思っていますが、改訂したい派には なんとなく今の憲法は終戦直後にアメリカの押し付けだったから…みたいな意見があるのを耳にします。

でも、この本を読んだらその草案を作ったアメリカ人達、法学博士や弁護士や政治学、行政学博士号を持つ彼らが、日本に民主主義を根付かせるために、世界中の憲法から学び、当時の彼らが持っている理想の憲法を作ろうとしたのが良く解ります。

ベアテさんが担当したのはまさしく人権委員会の中の[男女平等の権利]

「私は、日本の国がよくなることは、女性と子供が幸せになることだと考えていた。」
というベアテさん。
その信念のもとにいろいろな国の憲法を勉強、事細かに女性と子供を守る条項を書いていってくれました。

ところが悲しいかな、憲法はそれぞれ多岐に渡った条項があり、あまり長いわけにもいかない。
そんな訳でベアテさんの書いたものは大部分切り取られました。
後で民法等で取り上げたらいいと…

ただでさえ、問題が山積みな戦後日本。
正直、切り取られた部分が法律で認められていくには大変な年月が必要だったのですね。

最近話題になった非嫡出子の権利もベアテさんはその当時にうたっていたのです。

それにしてもトップシークレットで進められていたGHQ製の憲法草案を初めて示された日本政府の驚きよう、慌てようは…

日本側は相談してから次々に(日本人には適さない点)を指摘。
「女性の権利の問題だが、日本には女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」
と、言ってきたそうです((((;゚Д゚)))))))

今から60何年前にはそんなだったのですね。

立場が違うと物の考え方も感じ方も様々だとは思いますが、一度読んでみてほしい本です。

続いていく…

2013年12月21日(土) ブログ
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クリスマス間近のこの頃になると…
必ず来てくれては、昔は二人の子供のために、最近はお孫さんのためにプレゼントの絵本を買ってくれていたNさん。

連れ合いが(クリスマスプレゼントが用意できていない方に)と、いろいろなアイテムをセットにしておいたものを必ず買ってくれたのもNさん。

Nさんが天国へ旅立ってしまってから3回目のクリスマス。

御世話になりっぱなしだったNさんの代わりにお孫さんへのクリスマスプレゼントの絵本は贈り続けてはいたのですが、
(もう、絵本って感じでもないし、今年はどうしたものかな?)
とか思っていたら、今日は思いがけなく一家でいらして下さいました。

Nさんが闘病中に倒れ、リハビリに励んでおられた旦那様もお元気そうでよかった!

Nさんが旅立ってから息子さんに二人目の赤ちゃんが誕生。
なんと今度は三人目が(((o(*゚▽゚*)o)))

おーい、Nさ~ん、孫が5人になるよ~!
よかったね~!

あ、Nさんはとっくに承知のすけか^_^;

クリスマス・マジック

2013年12月20日(金) ブログ
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昨日、久しぶりにいらしたHさんは西宮在住です。

お世辞を言われるタイプではないHさんが、私に会った早々、
「街ぢゅう、クリスマスクリスマスしてるけど、ここはやっぱりチガウ!」

なんか、涙出るほど嬉しかったです/ _ ;

ホントにね、
(もしも、ゆう風舎が西宮にあったら…)なんて思うこともありますが、ここだからこそゆったりと静かな空間か存在するのかもしれませんし…

「いつかは行きたい」
と思って下さる方達が来て下さる日のためにでき得る限りのものを、と常に心がけようと思います。

キルトもショップのアイテムも、カフェも絵本図書館も。

「来てよかったですぅ」
その言葉が一番のご褒美。

今日は岡山の人気雑貨店を営まれている[モタモ]さん親子が来て下さいましたよ^_^

神港さん

2013年12月17日(火) ブログ
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私達の歳になると、11月半ば頃から毎日のように喪中葉書が舞い込みます。

今年はよけいに多い…
ちょうど私達の世代の親御さん達が逝かれます。
(ああ、○○さんちも大変だったんだな)…

ところが昨日、届いた喪中葉書は少し感慨が違いました。

「12月9日に夫 正也が永眠いたしました…」

橋本さん…

すぐに私の脳裏には5年前、[ストーリーキルト季節とともに]の出版記念に大丸神戸店でした作品展に来て下さった橋本さんの笑顔が浮かびました。

(あれが最後になってしまった…)

橋本さんは[神港教材社]の社員さんで私達は明石の図工専科をしていた時にものすごくお世話になっていた方です。

図工専科、というのは学校に一人ですから孤独な立場です。
図工に関する事は他の誰に聞くわけにもいかず、全て自分で立案、計画し、授業も行事もやって行きます。

そんな時、豊富な経験と深い考察、優しく誠実な人柄で私達の疑問に答えたり、材料を提供してくれたり、作品展の手助けをしてくれたのが橋本さんです。

大きな荷物を運搬していただくのは申し訳ないような小柄で、スリム、お歳だって決して若くなく…
正直、風貌は(教材やさん)という風ではありませんでした。
シルバーの髪が似合う役者然とした顔立ち、私達の要望を静かに聞き、熟慮して静かな口調で話される様はまるで大学教授のよう。
それでいて腰が低い!

当然ながら、私は校長先生達より慕っていたと思います。

私だけではありません。
当時いた各校の図工専科や中学の美術教師たちも、きっと同じだったと思います。

きっと社長さんも同じで、よく橋本さんは
「身体がえらいからもうひかせてもらおうと思うのに、辞めさせてもらえなくて」
と、笑っておられました。

私達が退職してからも仕事を続けられ、大丸で伺った時はもう引退なさった後でした。
自身も陶芸など、とても芸術に親しまれてたし、お孫さんもおられ…

毎年の年賀状でお元気を確認していたのですが…

たぶん私達より2まわりくらい歳上だと思うので、仕方ないと思いますが…。

知っていたら皆でお葬儀に並ばせていただいたのに、と残念です。

感謝を込めて…

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