昭和30年代生まれの私ですから、
(水俣病)、(チッソ)、(石牟礼道子)、(苦界浄土)、…
と、言うような言葉は成人にならないうちから もちろん知ってはいました。
そして、ときどきのテレビニュースで、又は[朝日グラフ]等に掲載された白黒の画像や写真で「踊る猫」の姿や患者さん達の姿もチラチラとは見ていたのです。
でも、正視はできませんでした。
(怖い)という気持ち。
(悲しい)という気持ち。
それが全てで(知ろう)とも(考えよう)ともせず、(遠い所で起きた不幸な出来事)と思い、(自分には関係ないこと)と思おうとしてきました。
(やっぱりちゃんと対峙しよう)
と思ったのは3.11原発事故以降に読んだいろいろな書物から、です。
多くの方が[水俣病訴訟]を思い起こし、石牟礼道子さんの書いた[苦界浄土]を絶賛しておられました。
それらを読んで(ふぅーん)と、思っていた矢先、NHK[100分で名著]という番組のテキストをIさんから借りることができ、読んで感動、私も新書版として出た[苦海浄土 わが水俣病]を買いました。
もちろん理不尽にも犠牲となられた患者さんの声なき声の代わりとして私達のような無関心であった社会の人達に告発する書でもあります。
詳しい史料、資料も記載されています。
でも、全くそれだけではありませんでした。
石牟礼道子さんの世界観、自然観を含めて魂の発露というものが、稀に見るような豊かで繊細な言葉の描写力=いわゆる「言霊」をもって記してあるのです。
びっくりしました。
なので、一行一行、一説一説、反芻しながらゆっくりと味わいながら読んでいくのです。
そこにあるのは目を背けたくなるような患者さんの姿であって、そうではないのです。
石牟礼さんがどんな方だったのか?
どんな思いで一連の連作を長い間かけて書いていかれたのか?
知りたい、ととても思いました。
すると暮れの朝日新聞の小欄に1月2日から13日まで、大阪で、石牟礼道子さんの世界を描く二つの映画[花の億土へ]、[海霊の宮]が日替わり上映されることが記されているのをみつけ、早速Iさんを誘って観に行くことにしました。
それが今日でした。
十三駅からすぐの[淀川文化創造館 シアターセブン]というところ。
今日は2006年に作られた[海霊の宮]の方でした。
不知火の海、山、花、光…煌めく自然を写した詩的な画面の中に、石牟礼さん本人の朗読やナレーターによる言葉がときどき静かに流れ、彼女の生い立ちや想いがより一層よく判りました。
この歳になって初めて読んだ…遅かった私がこう言うのは本当におこがましいことで なんとも申し訳ない思いですが、それでも敢えて…
まだお読みになっておられない方はぜひぜひお読みになって下さい。
分厚い三部作も出ていますが、新書版は読み易く、すぐに読めますよ。