ボヘミアンとジプシー
若いのに、いや若いから?けっこう地味好みのNさん。いつもブルーやグレー基調のバッグやワンピースを作っておられます。
ところが今回、出品して下さるワンピースのスカート部分はレースやリネンと合わせて赤い小さな花模様のローンを重ねるようになっています。
そして、恥ずかしそうに
「昔編んだ…」
と言って肩にかけるショールも加えてくれました。
バッグの布もそれなりの…
きっと彼女なりに「テーマ」に寄り添ってくれたのですよね😅
ところで言い訳、言い訳なのですが、実は[リネン&レース展]の作品作りや皆さんへの作品依頼の時には私自身がバタバタと忙しく、なかなか「ボヘミアン」の意味についてじっくり調べられなかったのです。
でも、制作時間は要るし
(こんな感じかな〜)
と、ゆる〜く始めてしまいました。
そしてやっと、「ボヘミアン」についての幾つかの資料を読みました。
読んでビックリ👀
思っていたより、悲しい辛い酷い歴史あり…
起源はそれこそ大昔、西暦1000年より以前。
インド北部の人々が攻められて住めなくなり世界各地に移住を始めた事が始まりのよう。
移住、と言っても 行く先々で迫害され、差別され転々と国を渡って行ったようです。
中東からヨーロッパ各地へ。
その国その国で呼ばれ方が違い、「ジプシー」とはイギリスで「エジプトから来たもの、エジプシャン」が、訛ったもの。
「ボヘミアン」はフランスで呼ばれた名称だったそう。
どこへ行っても迫害され、近代に至るまでユダヤ人と同様、と言うかもっと酷い状況のようです。
ナチスは同じように強制収容所に送り殺戮していたのです。
でも、その事実がなぜユダヤ人のように広く知られなかったか、と言うと、多くの「ジプシー」達は「文字」を持たなかったから、と思われます。
権力者はもちろん、自分達の犯した酷い所業は明らかにはしません。
アウシュビッツのことも焼き払い、「無きもの」にしようとしたそうです→映画[サウルの息子]
なので教育を受けていない事はとんでもなく酷いことなのです。
職業のこと、生活のこと、とても記しきれませんが、やはり音楽とか踊り(フラメンコ等)とか独特の能力が意味を持っていたんだなあ、と思いました。
そして、有名な文学[嵐が丘]も[誰がために鐘は鳴る]も主役の一人がそういう人…
なんだか…
私の作ったもの、作ろうとしているものは皆んな「的外れ」って感じで情けないですが、でも、確かに あの刺繍が印象的なふっくらギャザーの入ったブラウス等はハンガリーやルーマニアに流れついた方達が着ていたし…
「花いっぱいの野に立つ花嫁さん」は苦難の歴史の末に生まれた「希望」なのだと、勝手に思っておきます😓