“お母さん”づくし

2009年10月22日(木) ブログ
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学生時代、結構ふわふわ、軽い気持ちで絵を描いていた私と違い、男の人は将来を見据えて もっと真剣な態度で制作に向かっていたように思います。
そんな中でもともと京都芸大を目指して一浪までしたIちゃんは 女の子でも、男顔負けの大きな、力強い絵を描き、日展等の公募展にも 果敢にバンバン挑戦していました。
日本画の絵の具でも一番高価な「赤」の絵の具をふんだんに使ってピカ一のデッサン力で鶏頭などを描いていたのです。
そのIちゃんが、完全に絵筆を捨て、京都を捨て、スキー仲間のY君と結婚して、Y君一家が営むスキー宿を手伝うために白馬へ移り住んでから何年になるでしょうか?
手伝う、といっても料理も客あしらいも、何をしても達者な彼女、今や看板女将です。
そんな訳で過去4回の同窓会にも出席できず、もっぱら白馬へ行ってこそ会えるだけでした。
そんな彼女が 一人暮らしに多少、心配が出てきたお母さん のために最近は度々京都に帰省しているとのことは、この夏聞いていました。
それが、今日突然
「天気が良かったから…」
と妹さんの運転で、お母さんと3人、ゆう風舎へ来てくれたのです。
びっくりびっくり。
あんまり急で、初めて来てくれたのに 何のお構いもできなかったのが心残りですが、とても嬉しかったのです。
今まで、体力勝負で頑張ってきた彼女が、お母さんと過ごす京都にいる間だけでもゆっくりとした時間が過ごせればいいなあ。

そういえば ほぼ同年代のこちらのIさん、お母さんの昔の服の端切れを譲り受けたことから、アンティーク風のクレイジー・キルトを作ることを決意。
「それなら」とうちの母の残した端切れの箱からも何枚か選んでもらいました。
喜んでくれた彼女より、
(役にたてたら何より)
と母の方がもっと喜んでいるのが私にはわかります。
母、といえば…。
M.Jのビデオを観るたびにこのことばかりは残念で、残念で(><)
フレッド・アステアの大ファンでジョージ・チャキリス達の群舞の[ウェストサイドストーリー]が大好きで、晩年はスマップの5人が揃って踊っているのを観ると
「泣けてくる」と言っていた母。
「そんなもんじゃないよ!」
と、一目、マイケルの踊りを見せてあげたかったなあ。
勿論、同時代に生きていたのに、とにかく、私は知りませんでした(;_;)
だから母もやっぱり知らずに逝ってしまいました。