想像力
昨日は京都、上賀茂神社へ行ってきました。
参拝に行った訳ではなく、隣にある客殿で同窓生の作品展があったのです。
学生の頃から「牛」を描き続けて来た彼女。
丑年の今年は大忙しなのですよ😊
会場には彼女特有の迫力ある牛の絵が…
あと、同行した、別の同窓友達との、植物園内のカフェでの楽しかったランチ等のことを書こうと思っていたのですが、今朝見た 金平さんのFacebookの記事に圧倒され、できれば皆様にも読んでいただきたいな、と思いました。
一人一人、生まれも境遇も違います。
そこで必要になるのは その人の心を慮る「想像力」なのだと思います。
記事は金平さんではなくUさんと言う方のFacebookからです。
長いので(面倒だ)と思われる方はスルーしてください。
「小山田圭吾問題 ③ (能力主義の寵児)
CP(脳性麻痺)の当事者で
小児科医である熊谷晋一郎さんはBLOGOSの取材で
次のように語っています。
・・・一言でいうと「関係のない世界」。例えば学校では、同級生たちと、絵を描いたり、話をしたりして楽しむことは出来ました。でも休み時間に校庭に出て散り散りになった瞬間に、自分とは関係のない世界になる。それが当たり前でした。
ただ、校庭で楽しまれてやり取りされたことが、クラスルームの人間関係の中で重要な文脈を形成するらしい。私にはあずかり知らないやり取りが行われていて、それを前提にコミュニケーションが回っている感じがありました。
一方、道徳的な文脈で、「熊谷にもスポーツをやらせてあげるべきだ」と考える教師がいると、地獄でしたね(笑)。水泳の時、私はギリギリ浮かぶことはできるのですが、泳げるわけではありません。でも熊谷君に頑張ってもらおうという雰囲気が出来上がってしまい、25Mのプールを端から端まで泳ぐことになった。
でも浮かぶことしかできないので、風と波に任せて、祈るしかない。その間に、水をゴボゴボと飲む。何十分もかかるから、トイレにもいきたくなる。そういう時に同級生たちが「熊谷君、頑張って!」みたいな応援を、教員の動員のもとでするんですよ。状況的に引けなくなっていって……
――つらいですね。
ここでスポーツは嫌だなという経験を植えつけられたかなと。あとは運動会の時も所在ないですよね。誰かにおぶってもらって徒競走もしました。どう解釈していいのかよくわからなかったです(笑)。
さて、このように「良心的」に
脳性麻痺の子を励ます子ども、先生は
たくさんいるに違いありません。
私も
そのような場面をよく見ました。
だけども、
当事者の子ども(熊谷さん)は
苦しくてしょうがない。。
おそらく、
「死」をも意識したに違いありません。
おぶってもらって徒競走をする。。。
おぶった子ども、おぶらせた先生、
すべて自身は「善意」との意思であろう、
このような演出は、
やはり、
「見世物」です。
見世物でありながら、
周囲は
なかなかこれに気づかない、
むしろ、感動する人たちが圧倒的に多い場面です。
いわゆる、
「感動ポルノ」です。
背景にあるのは、
能力主義、、
平たく言えば、
「できること」が「価値」と結びついて
それに向けて努力することの「賞賛」です。
このような地平から眺めると
オリンピック、パラリンピックは
「ある意味で能力主義が先鋭化する舞台」(熊谷)であって
それ以上でも以下でもありません。
それはすでに「価値」と結びついている以上
最高の「価値」を発揮する場面で、
だから、
メダルを競い合うわけです。
翻って
「できないこと」の多い「障害」者は
絶えず最低の価値を「宿命」として負い、
価値のないもの
努力を怠っているもの、、との誹りを免れません。
例えば、
サバァンやギフテッドと
自閉症児(者)を評価の土俵にあげるときがありますが、
また、それ自身の「価値」を
もちろん、認めるものですが、
やはり、
この「素晴らしい価値」のみにとらわれていると
必ず「能力主義」の虜となって
「価値」の低い者を絶えず産出しながら
彼らを無意識であれ、差別するようになります。
また、
見えない、見えにくい「障害」といわれる発達障害は
文字どおり表面的には見えない、見えにくいだけに、
「できるはずだ」との誹りがとりわけ強く、
彼らを極限まで追い詰めていきます。
露悪的な、
あまりに露悪的な小山田氏の行為・その言葉と
熊谷少年を
がんばれ、がんばれと励ますクラスメートとの間には
一体、
どれだけの距離があるでしょうか。
一方は絶えず「善意」をまとい
また、一方は露悪的な行為と言辞でもって、
だけども、
どちらも被害者に「死」を意識させるほどに過酷な行為だと、
私には
いつもそう見えるのです。
いつもそこには
必ず呻吟している子どもたちがいる。。
苦しい、死にたい、、、だろう。
私には
いつもそう聞こえるのです。。
これが
小山田圭吾問題の本質だろうと思います。」