Mさん
前にお目にかかったのは 確か10何年か前、ゆう風舎を訪れて下さった時…。
小学生を教えていた頃のお母さんの一人、Mさんと思いがけなく再開する事ができました。
聞けば、体調を崩してあまり出かけなかったMさんを、
「リネンとレースの展示会してるから」
と、お友達3人が車に乗せて連れ出して下さったそう。
Mさんにはなかなか出かけられない、もう一つの理由があるのです。
北海道から恋しい旦那さまについて、明石に移り住んだMさん。
3人の子宝に恵まれ、下の男の子は双子ちゃん。
一人が重度の障害を持って産まれました。
でも、もし、そういう(理想的なお母さん像)があるとしたら、間違いなくMさんこそ、と推薦したくなるような、前向きで明るく、息子の能力を最大限に生かせること、周りの人の理解を深めてもらうこと、には骨身を惜しまれず努力されました。
「こんな事が嬉しいのよ」
「こんな事が辛いのよ」
と、車椅子姿のY君を養護学校だけでなく、姉弟の通う小学校にも連れ出し、全校生徒を前に話をして下さったことも。
数年経つとY君はすっかり人気者。
産まれた当時は、お医者さんから
「この子は一生、話すことはないでしょう」
と言われたY君が、養護学校の卒業式でとつとつと[答辞]を読み上げるまでに育て上げたのです。
そして二人の姉弟は、Y君の事を真摯に支えるだけではなく、立派な社会人としてやはり福祉関係の専門家になるべく、進路を選んだのです。
その上、自分の趣味を活かしてミニチュア作りのプロとして仕事もしていたMさん。
勿論、保護者同士の中でも信頼が厚く、常に先頭に立ってきたMさん。
去年、とうとう倒れてしまったそうです。
頑張りすぎ…でも、母であるMさんが頑張らないとどうしようもないのも現実です。
そんな中で、少しずつ意識変革が出来ていったというMさん。
たまにはショートステイにY君を預けて、お人形作り、という新しい楽しみをみつけられたようです。
写真を見せていただくと、さすがMさん。
見事な美しいお人形でした。
久しぶりのゆう風舎をとても楽しんでくれたMさん。
見た目は誰より元気そうで、ぱぁっとひまわりみたいに明るくて、今日の装いも、誰よりもレース展っぽくって…。
その辺がMさんのMさんたるところです(^O^)