温かな人柄でも…?

2012年3月30日(金) ブログ
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新聞を読んで、朝から気持ちが暗くなりました。

朝日新聞の[社会]面。
「不起立は罪ですか?」

大阪府立高校の61歳の男性教諭が卒業式で君が代を立って歌わなかったとして、4月からの再雇用を取り消された事の取材記事。
男性教諭は昨春、定年退職の際、生徒たちに胴上げされたと、同僚の先生の話。
「あんなに慕われた先生は他にいない。生徒を尊重し、決して馬鹿にしないから、どんなワルも心を開く」
と話した同僚も。

その男性教諭の教諭としての心の拠り所は、学生時代に読んだ竹本源治氏の詩[戦死せる教え児よ]だったと言います。
―逝いて還らぬ教え児よ/わたしの手は血まみれだ/君をくびったその綱の/端を私も持っていた/しかも人の子の師の名において…

教師になるにあたり、「国家より個人を大切にする」という誓いは動かせないと思ったそう。

橋本市長の言葉
「教育で一番重要なことはルールを守ること。自分の考え方と違っても社会のルールに従う。これを教員が子どもに教えられないでどうするのか」

社会生活をする上で、ルールを守る、ということはなるほど大切なことでしょう。
けれども私は「教育で一番重要なことはルールを守ること」と思ったことは一度もありません。

なんで、こんな時代になっちゃったんですかね?

私はたった14年間でしたが、教員をやってきて、私なりに(素晴らしい先生)を知っています。
その反対の先生も知っています。

本当に子どもにとって必要な先生(じゃなくっても大人…)

最後に記事を書いた記者の人が書いておられました。「今回の記事には当初、教諭の写真をつけた。温かな人柄が出ていたから皆さんに見てほしかった」
結局、学校や家族に迷惑がかかっては…と教諭からの辞退があって後ろ姿の写真のみになっていました。

なので、そのオツムの様子から連想した、ガブリエル・バンサンさんの[テディベアのお医者さん]の一ページを貼っておきます。

もうひとつ、連想して思い出したこと…。

歴史の中で、真実を求め、長いスパンで物事をとらえ、人々に訴えかけようと表現した人達、レオナルドしかり、ミケランジェロ、ガリレオ、ダーウィン、ゴッホetc.…
大抵、その当時の社会や権力側からは受け入れられなかったんですよね。