近づいてくるもの
月日は否応なしに、どんどん過ぎていきますね。
6月が終わってしまえば、この間、年が明けた、と思っていた2012年も、もう半年が過ぎるんですものね。
6月が終わる頃、マイケルの命日が来、母の命日が来、今年のレース展がやってきます。
そして、待ちに待った[マンインザミュージック]の和訳本が出ます。
ああ分厚い、内容のぎっしり詰まった本。
毎日、我慢して少しずつ読んでいこう。
今日はその前にマイケルの文、2回目のご紹介(^-^)
訳はやはりbluemoonさんです。
[trust信頼]
「公園のリスに餌をやっているとき、ぼくは、そのうちのちいちゃな一匹が どうやらぼくを信頼していないことに気がついた。
ほかのリスたちはみんなぼくに近づき、手から食べ物を取ってゆくのに、そいつだけはどうしても近寄ってこない。
ピーナッツを一粒投げてやる。
するとやっとじりじりとにじり寄り、用心深い様子でピーナッツを拾いあげて、ぱっと走り去ってしまった。
その次の時はいくらか警戒心を解いたらしく、やつはほんのすこしだけこっちに近寄ってきた。
安全だとわかってくると、しだいにぼくを信頼するようになった。
そして最後にはぼくの足元までやってきて、ほかのリスたちとおなじくらい、うるさくピーナッツをねだるようになった。
信頼とは、そういうものだ。
結局は、自分自身をどれだけ信頼できるか、なのだ。
恐怖は他人が肩代わりしてくれるものではない。
自分で克服するしかないのだ。
これは決して生易しいことじゃない。
なぜなら、恐怖は疑惑とがっちりとスクラムを組んでいるからだ。
ぼくらは裏切られるのではないか、また傷つけられるのではないかと恐れている。
だから相手との距離を保ってしまう。
他人との距離を置いておけば、自分の身を守ることができると思っているけれど、それは間違いだ。
そんなことをしていると、いつまでたっても孤独でみじめな思いから抜け出すことはできない。
自分自身を信じるにはまず、恐怖心を認めることだ。
恐れるのはすこしもかまわない。
どんな人間だって、不安にかられたり、怯えたりすることはあるのだから。
問題は、自分の恐怖を正直に認めようとしないことなのだ。
自分の心に、疑いや怯えがあることを認めてしまえば、他人に対して素直に心を開くことができる。
自分の心を深くみつめればみつめるほど、人は強くなれる。
なぜなら、どんな恐怖よりも、自分という人間のほうが大きいことがわかるからだ。
自分自身をまるごと認めてやれば、信頼はやがて完璧なものとなる。
心の垣根が取り払われれば、他人との間の垣根もなくなるだろう。
かつて恐怖が住みついていた場所に、今度は愛が芽生えてくるはずだから。」