教職を離れて20年。
しかも こんな歳になったからこそ言えますが、その昔、私が新任の時の事です。
大阪の中学校に勤務していましたが、勤務とは別に組合活動というのがあり、ちょうど今頃の季節になると役員選挙というのがあります。
当時は今より余計にぼや〜としていましたが、なんとなく 立候補者や応援している人は特定の支持政党があって、対立もしているんだ、と解りました。
ところが、いざ投票、という段になると、うちの学校の前に座っている先生から順に何やら紙切れが回ってきます。
見ると、一人の候補者の名前が。
(この人に投票するように)という意味です。
私はとてもバカにされたような気持ちになりました。
なるほど、知らない人ばかりですが、せめて演説を聞いて、判らないままにも、
(この人かな…)
と思った人に入れようと思っていたのです。
勿論、私は紙切れを無視してこっそり記名しましたが、その時から大勢の組織みたいなものにうんざりしてしまいました。
その後、退職するまで、特に大きな組合の大会、そこでは確かにとても大切な事を議論する場であるにも関わらず、隣りの人とずっとおしゃべりしてて話を聞かない、居眠りする、でも最後の「団結ガンバロー!」だけは張り切って拳を挙げる…そんな事に疑問をずっと感じていました。
MJの事をいろいろ知っていく中で、大変なバッシング、いわれのない疑惑にさらされていたという事実を思う時、そんな事を思い出しました。
折しも、先日手にいれたDVDに挿入された冊子に三宅久美子さんという方が とても的確にそんな私の気持ちを代弁する文章を書いて下さっていたのです。
「マイケルのスキャンダルに限らず、大衆が時として誤った方向に走りやすいのは別に目新しいことではない…」
に始まる文章には、一定の方向性を持った情報を繰り返し刷り込む事の怖さや、人の外見や容姿をあげつらうことの無礼さ、非常識、ディズニーランドへの見解、そして彼の答えの出し方にまで及んでいて、長文の解説は的をえていて、久しぶりにすっとしました。
誤解があるといけないのですが、始めに書いた先生方も、いわゆるどの時代の「大衆」も、一人一人はとても善人で良い人なのです。でも、一つ間違えれば良い人の集まりが戦争への道に加担したり、一人の人間を不幸の淵に投げ入れる力になりかねない危険性があるということですね。
いつも思うのですが、常に自分自身の五感で感じとり、自分の胸に聞き、勇気を出して…という事が大事のような気がします。