出来ました

2013年8月31日(土) ブログ
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10月9日から一週間。
大丸神戸店本館7階で催される[ホビーアーティストの世界](大変なネーミングですね(~_~;))に並べていただく新作一つ目、出来ました。

題して[リバティ・ショップ]
44cm×44cmの小さなタピスリーです。

いろいろ作るにしても、どうも私はまずはこういうのを作らないと落ち着きませんf^_^;)

この間買ってきたリバティと手持ちのをチビチビ、28種類も使って楽しかった~!
と言っても、実は一番気にいっているのは裁断台の引き出しです。

[パリのメルスリー]という本をめくっていると、いろんな色のガラスの丸いノブがついた引き出しを売り場のテーブルにしてあって。
(これが作りたい)と思って、リバティを引き立てる素朴な麻で引き出しの線を刺繍しなくてもいいようなラインの入った布があったらなー、と探したら…
あったんです、あったんです、ちゃんとショップに( ´ ▽ ` )ノ
ミニボタンもリバティの色と合わせました。

もちろんこれもキットにしますが、ネットショップではもう少し待ってて下さいね。
大丸の催しが終わってから、って感じです。

次はちょっと子どもファッションを…

クレイクラフト

2013年8月30日(金) ブログ
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私が卒業した京都の桂高校は普通の公立高校ですが私服でした。

なので毎日、
(何を着ていこうか?)が、大変。

好みの傾向はいろいろでしたが当時はやっぱりアイビー全盛期。

小さい頃から母手製の服を着ていた私がやたら、既製服に憧れた時代でもあります。

頼んで母に作ってもらったタータンチェックのプリーツスカートはなんだか布が分厚すぎるのよね?
自分で編んだツイードヤーンの丸首セーターはなんだか形が野暮ったいのよね…

そんな私の目に映るTちゃんのファッションはとっても完璧!

個性的で可愛い子の多かった同級生の中でも、特に自分を押し出すタイプでもなく(オトナ)で、でもいつも流行の服をさりげなくクールに着こなすTちゃんは私の憧れの的でした。

そんな雰囲気はたまに参加させてもらう同窓会で会っても変わりません。

そんなTちゃんも、暑い東京へ来てくれました。
京都在住の皆はときどき(食事会)なるものを、楽しんでいるみたいだけど私はなかなか…
なので、BOXギャラリー閉館後、階下の[Do Mago]で同じく京都から駆けつけてくれたDと三人で久しぶりにゆっくり食事しながらのおしゃべり…楽しかったなぁ~(^◇^)

そんなTちゃんから昨日封書が届きました。

そこには私が送ったスナップ写真のお礼と共に、
「中略…今回少し驚いたのですが、2年前に○○の展示会のために作った作品がハットリの作品と似ていたんです。なんだか嬉しくなって写真を探してみました…」

写真を見てビックリ(((o(*゚▽゚*)o)))

ソフト粘土というもので作るクレイクラフトをずっとやっていて教室も持っていることは知っていました。
以前、ワンちゃんが座っているペンスタンドをプレゼントしてもらったこともあったし…

でもそれから幾歳月?!

(Tちゃん、すご~い!!(((o(*゚▽゚*)o)))
私の(粘土のお人形)という概念を覆してくれました。

「この、本屋さんの古そうなペンキの壁の感じはどうして出したの?」
「この、並んでいる本はどうやってあるの?」
「この、…」
心の中は質問事項でいっぱいになりました。

いつも、
「ハットリはよく頑張ってる」
と、励ましてくれる彼女。
彼女こそ、頑張ってるんだな、相変わらずさりげないな、と胸が温かくなりました。

両親の介護、妹さんの看病…数年間の谷間を越えて、時間を取り戻しつつある彼女。
これからどんな素敵な作品を作っていくのか?
楽しみが増えました。

ありがとうの日

2013年8月29日(木) ブログ
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少しの涼しい日々を貰って、いろいろなことが動き出しています。

三人展の方は案内ハガキ用候補の作品を続々納入。
アイロンをかけてもらった後、連れ合いが写真を撮っていきます。

私の(リバティ第1作目)ももうすぐできそうですし、新しく取り組む作品の草案作りに入った方も…

でも、今日はもう一つのアニバーサリー。
マイケル・ジョセフ・ジャクソンがアメリカ、ゲーリーの小さな町で7番目の子どもとして産声をらあげた日です。

普通の「ハッピーバースデー!♪」は、その歳まで生きれておめでとう!だけれども、もう亡くなった人の場合は、
「生まれてきてくれてありがとう!」の日。
キャサリンさんに
「産んでくれてありがとうm(_ _)m」の日。

まだご存知無い方に少しでも彼の素晴らしさを知らせたい…
屈託の無い笑顔の彼から笑顔を奪った社会の謎を知りたい…

そんな私の旅はまだまだ続きます。

2013年8月28日(水) ブログ
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今朝の朝日新聞の[天声人語]は、イプシロンのことでもなく、消費税ヒアリングのことでもなく…キング牧師のことでした。

有名な、
「私には夢がある。いつの日か、あのジョージアの赤い丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子とが同じテーブルに座れる日の来ることを…」
あの歴史的な演説から、今日が50年目だそうです。

と、偉そうに言っても、私もマイケルを知る前まではよく知りませんでした。
しかも、公民権運動の発端になったのが白人と黒人と二分されたバスの座席に抵抗した名もない若い女性の行為だったことも。

マイケルの曲にはその人のことやキング牧師こともよく出てきます。

マイケルもキング牧師同様、堂々と高らかに差別に反対しました。

その結果、キング牧師は暗殺され、マイケルはあの通りです。

彼のイメージを歪めるために大きな力が働いていたのでは?と思っています。

明日は彼の55回目の誕生日。
「来週は来れないので」と、先週Iさんが置いて行ってくれた美味しそうな梨を明日剥いていただきます。

おそらく日本中の大方のファンがそうするのでは?

それはこんなエピソードがあるからです。
転載させていただいてもいいかな?
2009年7月に、ソニー元会長盛田昭夫氏夫人の盛田良子さんがサイト[盛田昭夫ライブラリー]に寄せられた文章です。

「2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが此の世を去りました。
私と主人昭夫が、マイケルの公演を初めて観たのは、1987年横浜スタジアムの時でした。彼の音楽、そして抜群のダンスに魅せられて、私共は東京の自宅から横浜スタジアムへ、公演後はそのままウィークエンドを、別荘で過ごすべく箱根湖畔の家に向かいました。
現在のように携帯電話もなく、道路事情も悪く、夜半に別荘に着いた私のところに東京の家から電話がかかり、先程からマイケル・ジャクソンのマネージャーから度々電話がかかってきて、是非、ミスター盛田と話がしたいので、何時でもいいから電話を下さい、とのこと。私は急いで彼のホテルに電話をしました。
彼は、「今日、ミスター盛田が来て下さったことのお礼を言いたかったのです。そして今日は自分が100%満足のいくショーが出来なかった。声も出なかった。次回の公演には必ず今日以上のショーをお見せしたいので、是非又おいでいただきたい」と言って幾度も謝っていたそうです。
アーティストには、これが最高ということはありません。いつもいつもより良いものを作る努力をしています。それを人はわがままと言うかも知れません。

この後、彼は日本滞在中、ちょうど私の誕生日の自宅のパーティに参加してくれました。それがここに載せてあるスナップです。
ベジタリアンでほとんど肉・魚を食べない彼はご覧のように、私が用意した季節の果物 『二十世紀』、大皿一杯の梨を一人でかかえて食べてしまい、とうとう私共同席の者には一つも口に入らなかった記憶が甦り、今でも我が家の話題の一つです。

彼は我が家にある昭夫のおもちゃである自動ピアノやオルゴール、ミニチュアのストリートオルガン、さてはエジソン記念館から贈られた珍しいローカンのエジソンレコードを見つけて、一晩中子供のように楽しんで過ごしました。

この日本滞在中に、彼はソニーの本社、信濃町にあった当時のCBSソニースタジオ、ソニー・メディアワールド、銀座ソニービル等を訪問し、新しいソニーの製品の数々を手に取っては、次々と質問する何にでも興味を示す好青年でした。
私達は、お約束通り、1992年東京ドーム公演に招待され出掛けました。楽屋ではいつもオフィシャルな写真が撮れるようにスタジオが出来ており、いつも素敵な写真を撮っては数日後サイン入りで送ってくれたものでした。
1996年12月、ヒストリーツアーが東京ドームで開催されました。その時は、昭夫は既に病に倒れていましたが、どういう経緯か忘れましたが、私は彼の泊まっていたキャピトル東急に迎えに行き、同じ車に乗ってドームまで走りました。車の周りをファンの車が囲み、タクシーで追いかける人もありました。車が赤信号で止まる度に窓から、紙切れ、ハンカチが渡されます。彼は快くそれを受け取って、急いでサインをして、それをファンの方に渡すのは私の役目でした。キャピトル東急からドームまで幾人の人にサインしたか、彼は嫌な顔一つ見せず、喜んでサインしている姿を隣で手伝いながら、この人って本当に心の優しい人なんだなと、つくづく思いました。

彼は昭夫に会うことを本当に楽しみにしていました1995年「ヒストリー」が発売されました。その折彼は、昭夫の為に特別な盾を作り、アルバムにもサインをしてプレゼントしてくれました。
彼の送ってきた盾には、
“THIS ALBUM OF MY MUSIC WARMLY DEDICATED TO AKIO MORITA… 永遠の友情 FOR OUR EVERLASTING FRIENDSHIP. WE ARE LIVING IN THE SAME DREAM FOREVER… WITH ALL MY LOVE”
と書かれております。
1993年10月、昭夫が病に倒れたその時、海外から一番初めに届けられたメッセージは、マイケル・ジャクソンからのものでした。
それは彼自身が作ったヒーリングテープでした。 彼は彼自身の声で幾度も「ミスター盛田、ミスター盛田…」と呼びかけていました。「あなたは必ず良くなる。必ず話せるようになる…」。そして、彼の選んだ静かな曲が流れます。再び又同じ様に「ミスター盛田、…」。彼の呼びかける声が幾度も繰り返されるテープでした。そのテープの箱には彼自身の手書きで次のことが書かれていました。
『これを朝、昼、晩にかけて聴いて下さい。マイケル・ジャクソン』と。
 
マイケル直筆メッセージのカセットレーベル
 
私は、昭夫が朝起きる時間の10分前からこのテープをかけ、そして夜ベッドに寝かせてからこのテープが終わるまで聴かせて休ませることにしました。これは、6年余の間、昭夫が亡くなるまで、毎日続けられました。
1998年、ハワイ、ホノルルでマイケルの公演がありました。車椅子の主人を押して、このショーを観に私はホノルルのアロハスタジアムに出掛けました。
翌日、彼は私共のハワイの別荘に見舞いに来てくれました。昭夫が顔をくしゃくしゃくにして喜んだのは、申すまでもありません。今もその時のマイケルの優しい姿を思い出します。
昭夫が世を去って10年。
今頃、マイケルは彼が最も尊敬する先生であり、心の友でもあった昭夫に、彼がいつもしていたように、「どうしたら若い人達の心を掴むことが出来るだろうか」「どうしたら自分はもっともっと尊敬される人になれるだろうか」「誰を信じたら良いのだろうか」とマイケルの質問攻めに合っていることでしょう。
誰も信じる事が出来ず、子供に動物に安らぎを見出していたマイケル。
今天国にあって、静かな安らぎの中に、誰に気を遣うことなくゆっくり休んでいるのでしょう。
“アイ ニード ユア ヘルプ” 幾度も彼から電話が私に掛かって来ました。丁度10年前のことです。私はあの時、どうしてもっと彼の本当の声を聴いてあげなかったのか、と今悔やまれてなりません。昭夫の病状が一番悪い時で、私にはその余裕がなかったのです。
ごめんなさい、マイケル。
でも、私は今、あなたは誰の助けもいらない幸せな世界に居られると信じております。
2009年7月7日 盛田良子」
 
 

秋に、向けて

2013年8月27日(火) ブログ
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暑い!暑い!そんな夏の狂騒曲がある日突然ピタリと止んで…

まるでそんな感じです。
土、日、と待望の雨が降ってからです。
あんまり暑くて(待望の雨)と書いてしまいましたが、場所によっては恐ろしいゲリラ豪雨だったのですね。

今も土色になってしまった家や店の中をどうやって片付けようか?途方にくれている方が沢山おられると思うと。

心からバンザイする幸せなんて、大人になると無くなるのかもしれませんね。

とは言ってもこの、今日のような爽やかさはありがたいものです。
頭も心も動き出すような気がします。

又、何かに向かって歩いていけるような気がします。

さてさて、この三人さんも始動、始動^_^
今年の(個人作品展)の三人なんですよ。

ゆう風舎に通う間に4人のママになり、子育てしながら、いつも明るく親しみ易い人柄で場を和ませてくれたFさん。

穏やかで良識あるゆったりしたピアノの先生のNさん。

竹を割ったような性格、誰からも好かれ、数年前病気で旦那様を亡くした後も歯科衛生士としてしっかり働きながらも手作りを続けてきたMさん。

仲良し三人がタッグを組んで作品展をします。

ゆう風舎で出会って仲良くなったのでタイトルは[キルト・フレンド]展。

10月3日から一週間します。

今日は第1回目の打ち合わせでしたよ。

針を持つのは

2013年8月26日(月) ブログ
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久しぶりです。

でもやっぱり楽し~( ´ ▽ ` )ノ

楽しかった東京展ですが、でもいろいろ思うことはありました。

特に東京キルトフェスティバルの担当Tさんの、
「なぜアップリケの周り(空いたところ)にキルトをしないのか?」とか、
「○○さんの作品はもっとメルヘンメルヘンしている。分厚い感じ」とか言われたことには不本意ながらちょっと凹みました。

ところが、こうやって自分の場所に戻ってきて、下絵を考えて自分の好きな布を前に針を動かし始めると楽しくて楽しくて、そんな雑念は吹っ飛びました^_^

好きなものを好きなように作っていく…
それしかありません。

その取り掛かりに(リバティもの)はモチベーション、バッチリです。

とは言っても(リバティで何かを作る)なんてことは古今東西大勢の方がしておられること。
なかなか手強いです。

まずは私らしい絵キルトのプチタピを作ってから、又いろいろと考えてみますね。

オルファースさんの

2013年8月25日(日) ブログ
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iPhoneのカメラのレンズも曇ってしまうくらいの暑い暑い日。
タクシーを飛ばしてお隣り、代官山の蔦屋書店に行ってやっぱりよかったです。

重いのでほんの少しですが、買ってきた本は又々私の宝物になりそうな。

この小さな絵本は可愛いし、かさばらないし、お手頃値段だし、と加えたのですがなんだか見たことあるような…
後で来た連れ合いに見せると
「ある」

[ROOT  CHILDREN]

(な~んや)と思いながら帰ってから比べてみると、大きさもさることながらなんだか違います。
よ~く見てビックリ(゚o゚;;

大きなほうの絵本はなんと絵キルト+刺繍でした‼

原作者のジビュレ・フォン・オルファースさんは19世紀の絵本画家です。
ドイツ、東プロイセンの貴族の生まれながら、病気でなんと34才という若さで亡くなっています。
遺された絵本は全部で8冊。
ゆう風舎には3冊あります。

それにしてもこのオルファースさんの絵本をキルトにしたSieglinde Schoen Smithさん、本当に凄いテクニックです。
英語なんでよく解りませんが、どうもアメリカの何かのキルト賞受賞者で刺繍のエキスパートだそうな。
ペンシルバニア州にお住まいだそう。

アメリカにもこういうのする人、おられるのですね。
このキルトを完成させるのに1年と1日かかったと書いてありますが、わたしがビックリするのは子ども達の顔や髪の毛。
全部、繊細なサテンステッチで埋めてあります。
刺繍の得意だった亡きSさんを思い出します。

でも、こういうのって著作権をどこかが買って…ということなんでしょうね。

笑顔の裏に

2013年8月24日(土) ブログ
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JJさんのブログを拝見してると、海の向こうでは又、マイケルの死をめぐる裁判が行われています。

最近の証言者…デビー・ロウさん。

知る人ぞ知る、マイケルの上の二人の子のお母さんです。

デビーは、白斑が身体に現れ、治療を始めた若き日のマイケルが通っていた皮膚科の看護師さんです。

それから10何年、ずっと親しい友達だったみたいです。

(親しい)と言ってもいろいろあります。
男女のそれ、趣味のそれ…
でも、デビーの場合はマイケルが人に知られたくない皮膚の病気や火傷の後遺症、そしてその治療に関するさまざまなことをすぐそばにいて、手を携えていてくれた…他の人には無い関係ですよね。

裁判が進みいろいろな証言から知るにつれ、彼が抱えていた皮膚疾患や頭部の火傷は、私が想像していたような生半可なものではないようです。

本当に大変な痛みを伴う…
そして、男性の一部には有りがちだと思うのですが、マイケルも痛みに対してとても弱かったといいます。
そして、いろんな意味でマイケルは深刻な睡眠障害を持っていたのです。

痛みを伴う治療中、ずっと手を握っていたというデビー。

ツアー中のパフォーマンスのために眠ろうと鎮痛剤依存性になっていく彼を心配して、看護師としての知識から薬をなんとか管理しようとか、不適切と思われる医師に抗議したり…デビーも本当に心からマイケルを愛していて一生懸命護ろうとしてくれていたんですね。

昨日、デビーの口から明らかにされてショックだったのは、火傷した頭皮を伸ばそうと、強烈な痛みを伴う手術をしたのに、それは結局うまくいかなかった、ということ。
彼の頭皮には辛いケロイドが残っていたということ。

可哀想に。
それでも、マスコミにも親にもそんなことは一言も言わず、ファンの前では笑顔を見せてくれていた彼。

お母さんが、
(なぜ息子はあんな風に死ななければならなかったのか?)
真実を知りたくて起こしたこの裁判。

マイケルが一生懸命隠していたことが次々と明らかになり、(どうかなー?)と遣る瀬無い気持ちにもなりますが、明らかになってがっかりしたり、裏切られたような気持ちになったり、イメージが変わるような事実は全くありません。

苦しみの中から向けてくれていた彼の笑顔が染みるばかりです。

世界中の人の心を打つ、というのはそういう背景があるからでしょうか。

次のこと

2013年8月22日(木) ブログ
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私みたいな者に、
「東京であれから体調を崩されたこと、とても気がかりでした…」
などという、優しいお葉書をいただきました(/ _ ; )

私のブログの書き方がいけなかったのですね。
心配していただいて恐縮します。
(体調を崩した)なんてほどではゼンゼン無く、元気にさせてもらっていたんですよ。

ところが、今年は本当に何年ぶりかの猛暑ですね。
こちらへ帰ってきてからなんとか、お礼状を書いたり、ご注文いただいたキットの発送準備をしたりしているのですが、暑くて暑くて´д` ;´д` ;´д` ;

さすがに田舎、夜になると幾分涼しくなり…そうすると眠た~くなって早くに床についてしまいます。
なかなか仕事モードには戻れていません…>_<… でも、そろそろ、小さくても新作のアイデアを出して取り掛からなくては、と思っています。 れいの、大丸神戸店の手芸売り場主催リバティ・イベントが10月9日からあるからです。 なんだか、私も[ホビーアーチスト]なんて呼んでもらってますよ(゚o゚;; そんな訳で昨日、とりあえずリバティ・タナ・ローンを何枚か買ってきました。 素敵な布ばかり…。 でもまだ何にするか?? 今日はエアコンの力を借りて考え始めてみますね。

日傘

2013年8月21日(水) ブログ
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暑いですね。暑いですね。
言っても仕方ないですが、暑いですね´д` ;

テレビのニュースで知ったのですが、最近はとうとう男性用日傘も結構出回っているのですね。
日本だけかなあ?
欧米の人って今だにあまり紫外線を気にしませんよね?
なので、どんなにハンサムなフランス男性でもイギリス男性でもイタリア男性でも頭髪の薄くなった方、多いですよね。
今日も美容院でそんな話になり、サッカー選手も太陽にさらされてのプレイでそういう悩みの方、多いとか…

マスクも日傘も日本人にはお馴染み。
マイケルも日本で暮らしていたらあんなに異端視されなかったのでは?と、つい思ってしまいます。
マイケルは深刻な皮膚の病気でした。
白斑だけではなく、なんとかいう難しい名前の皮膚病で陽に当たるのはタブーだったのです。
それで、車から降りるといつも屈強なボディガードが黒い大きな日傘をさしていました。

なので、私が文化村に出させていただいた作品に縫い込んだマイケル、観に来て下さったJJさんに
「日傘もセキュリティもなく、普通に街を歩かせてあげたかったので…」
と言った事をJJさん他、たくさんのマイケル・ファンに共感していただき、その作品が表紙になっている[ストーリーキルト2]はアマゾンで一時急に順位を上げるほどだったのですよ。
嬉しいことでした☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

さて、日傘といっても こちらはとってもほのぼのとした日傘。
母の日にかな?
子ども達が贈ってくれた白い日傘。
よく見ると、運悪く少し傷があったそうです。
でも、そんな事を言って子ども達を傷つけるわけにもいかない…
優しいKさんは考えた末、リバティの服を着たウサギさんをアップリケ。

Kさんは[雨の日に3]に出てくるぬいぐるみのウサギさんを気にいってくれていろんなものにアレンジして下さっています。
これは、右左逆にしてありますね。

私の絵キルトの一部がだれかの生活の中で息づいている…*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

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