アレンジして

2018年11月4日(日) ブログ
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「出来上がったので送っていいですか?」
お久しぶりに久留米市にお住まいのUさんのお声を聞きました。
 
災害の多かった今年。
直接の被害は無くても 畑も頑張っておられるUさんご夫婦も、ずいぶんな目に遭われたことでしょう、と心配していたので お元気なお声にホッとしました。
 
届いた作品はタイムリーなクリスマス・キルト。
パターンのパッチワークでツリーが作られ、私の絵キルトパターンを拡大して配置して下さっています。
 
(なるほど〜)
 
昔、洋服作りをしておられ、残り布がいっぱいあるので、と今はキルト作りを楽しんでおられます。
 
久留米市は行った事がありませんが、いろんな物が豊かに実る肥沃な土地なんだろうな、って想像します。
 
そんな日本各地を旅する、ご存知[フーテンの寅さん]シリーズ。
渥美清さんが亡くなり49作で終わってしまったのだけど、なんと50作目が作られる??
 
山田洋次監督はどんな風に映画にされるのか?
たぶん山田監督だけにきっとそれなりの素晴らしい作品になるんだろうな、とは思いますが…
 
そんな山田監督の言葉を、昨日Facebookの中にみつけました。
 
「常に新しい物を欲しがる。
おいしい物ばかりに目移りする。
身の丈以上の生活を求め続けている。
そして子供には過度の期待をかけ、
能力以上の成果を望む。
果たして、
そこに本当の幸福があるのでしょうか。

かつてのような
貧しい暮らしが良いというのではありません。
ただ、身の丈に合わない生活には、
きっと大きな落とし穴がある。
そんな気がするのです。

僕はよく散歩をするけれど、
ゆっくり歩いていると、
道に生えている草花の美しさや
生命力を感じることができます。
スタスタ歩く人には見えない。

日本国憲法が施行されたのは戦後、
僕が16歳になった1947年です。
あの頃の日本人は住むところもなく、
お腹は空いていて、
ほぼ飢餓状態。
でも、希望だけはあった。
それは、この国が軍隊を持たない国になる、
すごい変わり方をするんだという
驚きの思いと共にあったんです。

70年たって、
世界にまだまだ平和は訪れていない。
人間はなぜ賢くなれないのか…と思います。

日本人が100年以上かけて
構築してきた生活、文化が今、
知らず知らずのうちに崩壊してきている。
今の家庭生活において、
何を否定し、何を守らなければならないのか、
日本人は真剣に考えなければならない。

オリンピックが終わった後が
どんなに悲惨かというのは、
ロンドンであり北京であり
見えているんじゃないかな。
施設のあとが荒涼としてしまう。
東京もああなるかと思うとぞっとする。

日本の主婦の立場について、
この国に男女差別が
本当に無くなっているのだろうか?
実はかなり根深く残っているんじゃないだろうか?
そういう問題について
考えて下さればいいなと思っています。

昭和といったって、3種類ある。
まず戦前。戦中はない。
これは消えてしまいたい時代。
全く最低な時代。
戦中は昭和に入らない。

今、寅さんに会えたなら
寅さんは僕たちに
「いま、幸せかい?」と
問いかけるに違いない。

今、僕たちは欲望を抱くことが
つまり正しいという風に、
いつの間にかこの国はなってしまっているからね。
そのことの間違いに気が付いてみると、
何とかやっていけるんじゃないかな。

貧しいということは、
自分が貧しいと思っているから貧しいんで、
貧しくないと思ったら
貧しくないんですよね。

今、日本人は誰もが
老人問題を抱えているはずです。
自分でなくとも、
親や祖父母たちが抱えた問題であり、
誰もがいつかは行く道、パンドラの箱なんです。
一部の人たちではなく、
国会で議論されるべきオリンピックなどより
はるかに重大な課題です。
 
大笑いして、
さあ明日から元気になって
生きていこうと思いたいわけじゃない?
だったらその役割を持った映画が
たくさんあっていいはずなんだけども、
意外にないよね。

 以下略」