読みました

2010年2月19日(金) ブログ
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とうとう、この本を買い、読みました。
[マイケル・ジャクソン裁判―あなたは彼を裁けますか?―]です。
彼の本を探しに行った早い段階で ジュンク堂でこの本の存在を知っていましたが、なんだか怖く、嫌な気分になる本のように思って私は避けていた分厚い本です。
ところがアマゾンのプレビューを全員分、読みましたが、ほとんどの人が星印5つ、「絶対に多くの人に読んでほしい」と書いているのです。
その中にはファンだった人もいるし、そうでない人もいます。
ずいぶんとMJの事について知ってきた私は、もうたとえどんな事を知っても大丈夫かな?と思い、読むことにしました。
それでも、あんまりMJが可哀想で心がボロボロになり、仕事が出来なくなったらどうしよう?とか思いながら。
特に沢山の人が書いておられた、最後に載っていた彼のメモ、何かの本の間に挟まっていたというメモ書きを読んで
「大泣きしました」「涙が止まりませんでした」
というのを読み、覚悟をしていました。
夕べ、少し夜更かしして読み上げ、感想は…?
正直(バカバカしい)と思いました。
本が、ではありません。
この裁判が、です。
そしてアメリカという国が心配になりました。
そのアメリカにいろいろな意味で頼っている日本のことも…。
そしてMJの事よりも、莫大な資金(税金)と時間とエネルギーをかけて有罪にしようとした検察側や狂乱して偏向報道を続けたメディアとか、
(人間っていったい何なんだろう??)
とそればかり自問しています。
こんなふうになれるのはなぜ?
彼に対するどういう思いが原因?
成功に対する妬みとか人種差別とかお金儲け、とかそういう理由だけではとても理解できません。
たぶんそれにプラス、集団意識のダイナミックスが働いているのでしょうが、それにしても本当に不思議です。
それだけMJという人が特別の人ということなのでしょうか?
言い方を替えれば、犠牲になった彼は有名人だったからこそ、こうして本であかされる事が出来たけれど、違う状況の中で 名もない一庶民がよってたかって真実をねじ曲げられる、としたら?と恐ろしくなります。
そして、本当のところ彼がいろんな慈善事業をしていたことはほとんど報道されていなかった、ということも知りました。
日本人で、彼に興味がなかったから知らなかった、というだけではなかったのです。

MJの事は…裁判なので気の毒にあらいざらいプライバシーが暴かれます。
でもご心配なく。
知れば知るほど彼の人間性は好ましく…。特に人間にとって[品性]というものがとても大切である、と改めて思いました。
ファンだからそう思うのではなく、だから12人の陪審員(勿論、徹底的にファンは除外して選出されました)は14個の無罪判決を決定したのです。
勿論、各証拠にもとずいて、ですが。
最後のメモで号泣?
私はそうではありませんでした。
たぶん私は毎日聴く彼の歌の歌詞や彼の文、YOU−TUBEで見る彼の表情で十二分に解っていたからだと思います。
彼がなぜ子どもが好きなのか、子どもに何を感じているか…。
とにかくMJの事と関係なく、正しい人や良心を持った人が虐げられたり、辛い目に合う世の中にしては絶対ダメだと思います。
さあ、私に何ができるか?
力無いながら私はとりあえずMJの伝道師になります。
と、言ったら我が連れ合いが
「頭、刈らないとあかんな(ザビエルのように)」
と言いました。