一つの終わり

2010年10月19日(火) ブログ
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―誤訳が多いマイケル・ジャクソンの素晴らしい歌詞を丁寧に和訳し、そこに込められたメッセージを日本語できちんと伝えるブログ―
以前にもブログで紹介させていただいた、大西恒樹氏のサイト[マイケルの遺した言葉]、一旦の終わりの旨、昨日のブログにありました。
元々、(あと何曲…)というふうに記してありましたし、いつか 区切りをつけられるのは、来訪者皆が判っていたことですが、それでもこのサイトのファンは
「お忙しいのはわかりますが、ぜひ、続けて下さい。」
「まだまだ訳してほしい歌があります。お願いします」
と、終わらないことを切望していました。

昨日のブログにはこんな文が…

「中略…さて、このブログを始めたきっかけや、それにかける思いなどは「はじめに」に書いてある通りで、今もその気持ちは全く変わっておりません。一人でも多くの方がマイケルのメッセージを受け取ってくれれば世の中はもっと良くなると思いますし、このブログがその一助になれば本望です。ただ、私自身はそれだけでは飽き足らない気持ちを持ち始めていまして、次に何をすべきかについて考えています。

元々私がこのブログを始めたのも、「自分に今何ができるか?」を問うた結果であり、マイケル亡き後、なるべく多くの人が彼の闘いを引き継がなければならないと思ったからです。そのためには、なるべく多くの人が彼のメッセージを受け取る必要がある。だから、自分の言葉で彼のメッセージを訳す、ただそれだけのことです。ですから、私にとってこのブログは手段であって、目的ではない。本当の目的は訳すことではなく、このブログを通じてマイケルが何に対して闘っていたかを感じてもらい、それに触発されて自己変革を起こし、世の中を変える人を増やすことです。自分もその一人でありたいと願い、まず第一歩として自分にできることをしただけなので、まだ何も達成した気がしないのです。

私はこれから本当に大変な時代が来ると思っていて、下手をすると今私たちが変わらなければ、もう未来は残り少ないかもしれないとさえ考えています。恐らく、古い価値観と新しい価値観の闘いも熾烈になるでしょう。そんな時代にマイケルが現れたということは、やはり何か大きな意味があったのでしょう。しかし、それ以上に大きな意味を持つのは、残された我々がこれから何をするか、それに尽きるのではないでしょうか?だからなるべく多くの人が何をできるか考え、実際に行動してくれることを願います。このブログはそのためのものです。

私はこのブログの次にできることを考え、行動したいと思います。したがって、訳詞に割く時間は少なくなりますが、決して止まってしまうわけではなく、次の段階に進んだと思っていただけると…。…後略」

私もこのサイトからいっぱい勇気や[確信]をもらった一人です。
マイケルの事をとてもただ[歌手]とは見られない。どうして、皆、すーと通りすぎるの?私がおかしいのかな?
時々、そんなふうに不安に思ってたことが吹き飛びました。

大西さんが新しく訳詞をされないからといって、このサイトがなくなる訳ではありません。
どうか時間をみつけてじっくり味わってみて下さい。