サグラダ・ファミリア

2013年12月16日(月) ブログ
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若い時に超感激したこと…Yさんのおかけで思い出しました。

Yさんが、旦那さんとスペイン旅行に行ってこられました。

冬のスペイン。
マドリードの乾燥の強さには閉口されたようですが、バルセロナのガウディの建築物の素晴らしさにはやはり感激されたそうです。

私達が行ったのはもう何十年も前。
30歳の若い頃。

当時はデジカメもスマホもなかった時代ですから
(頑張って撮ろう)
と、連れ合いは重い一眼レフのカメラに、望遠と広角、普通のレンズを合わせて三つも下げて行ったのですから(若い!)以外に何もありません^^;
写真はその時に撮ったサグラダ・ファミリアです。

ピカソもミロもよかったけれど、何と言っても‘ガウディ’でした。

アントニオ・ガウディ。
無機物であるはずの建築物なのにまるで有機物を感じる作品はどれも信じられないようなものでしたが、やはり圧倒的なのはまだ建築さ中にあるサグラダ・ファミリアでした。

31歳の時に依頼されてから74歳で亡くなるまでてがけていた教会。
(依頼主が時の権力者、ではなくて当地の教区長をしていた書店主、というのが又ユニークですね。)
当時はほとんど宗教的な生き方をしなかったモダン青年だったそう。
そこからがガウディの凄い所。
何よりもまず徹底して、聖書、あるいはキリスト教における典礼のさまざまな学問を自分なりに勉強したそうです。

そして、考えに考え、熟慮に熟慮を重ねて描いた設計図。
それは壮大で崇高で、時間とか、費用とか、仕事量とか、そういうものをはるかに超えてしまっているんですよね。

なので、たとえ未完成であろうがその前に立つと、その巨大な建築というか塔達が何か私達に話しかけてくるような気がするのです。

私達がみた当時にはガウディが構想した真ん中の一番高い塔である、聖母マリアに捧げる塔はまだ全然未完成、その前にある4本の塔、そして日本人彫刻家外尾悦郎さんが手がけていて有名なファサードが…

ガウディ没後も遺志を受け継ぐ建築家や芸術家が作り続け、その財源は寄付等で賄わられる…

(ああ、なんて、壮大なロマンなんだろう!)
と痛く感動したものです。

ところが…。
Yさんの報告では。

なんと、石を積んでいく工法は諦められ、鉄筋を??
後、10何年後には完成??

莫大な費用のせいでしょうか?

なぜ、どんな議論でそうなったかを私は知らず、しかもそう決定されたにはよほどのやむを得ない事情があったに違いないと推測はしますが…

夢は?
ロマンは?

ガウディはどう思っているかなあ?