神港さん

2013年12月17日(火) ブログ
attachment00_176.jpg

私達の歳になると、11月半ば頃から毎日のように喪中葉書が舞い込みます。

今年はよけいに多い…
ちょうど私達の世代の親御さん達が逝かれます。
(ああ、○○さんちも大変だったんだな)…

ところが昨日、届いた喪中葉書は少し感慨が違いました。

「12月9日に夫 正也が永眠いたしました…」

橋本さん…

すぐに私の脳裏には5年前、[ストーリーキルト季節とともに]の出版記念に大丸神戸店でした作品展に来て下さった橋本さんの笑顔が浮かびました。

(あれが最後になってしまった…)

橋本さんは[神港教材社]の社員さんで私達は明石の図工専科をしていた時にものすごくお世話になっていた方です。

図工専科、というのは学校に一人ですから孤独な立場です。
図工に関する事は他の誰に聞くわけにもいかず、全て自分で立案、計画し、授業も行事もやって行きます。

そんな時、豊富な経験と深い考察、優しく誠実な人柄で私達の疑問に答えたり、材料を提供してくれたり、作品展の手助けをしてくれたのが橋本さんです。

大きな荷物を運搬していただくのは申し訳ないような小柄で、スリム、お歳だって決して若くなく…
正直、風貌は(教材やさん)という風ではありませんでした。
シルバーの髪が似合う役者然とした顔立ち、私達の要望を静かに聞き、熟慮して静かな口調で話される様はまるで大学教授のよう。
それでいて腰が低い!

当然ながら、私は校長先生達より慕っていたと思います。

私だけではありません。
当時いた各校の図工専科や中学の美術教師たちも、きっと同じだったと思います。

きっと社長さんも同じで、よく橋本さんは
「身体がえらいからもうひかせてもらおうと思うのに、辞めさせてもらえなくて」
と、笑っておられました。

私達が退職してからも仕事を続けられ、大丸で伺った時はもう引退なさった後でした。
自身も陶芸など、とても芸術に親しまれてたし、お孫さんもおられ…

毎年の年賀状でお元気を確認していたのですが…

たぶん私達より2まわりくらい歳上だと思うので、仕方ないと思いますが…。

知っていたら皆でお葬儀に並ばせていただいたのに、と残念です。

感謝を込めて…