沖縄の人のブログ

2017年8月7日(月) ブログ
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迷走していた台風。
上陸した、と思ったら結構近畿地方縦断。

この辺りも早朝から警報が流れ、遠くから通ってくれているスタッフさんにはお休みにしてもらいました。

なので今日は開店休業。

のんびりFacebookを開くとこんな記事が載っていました。

沖縄の「大袈裟太郎」さんという方のブログ。

森友学園の籠池さんについては それぞれ皆さん抱いているイメージや思いは違うと思います。

私と友達とでも、違う。

でも、京都生まれ育ち、それから親戚は大阪人も、という私にはどうしても
(ああいう方、たくさんいるよ)
って親しみを持ってしまいます。

してこられたいろいろな問題はあるものの…。
下記の「太郎さん」のブログを読んで 皆さんはどんな風に思われるかなあ?

 

「ひょんなことから、ここ一週間、大阪は豊中の籠池さん宅に居候している。

太郎さん、玄関はいといてくれるか?とか、

太郎くん、そうめんのネギこうてきてくれへん?とか、

玄関前に半年以上マスコミが張り続け、どこへ行くにも追い回される、完全にプライバシーを失ったご夫妻の生活の使いぱしりをしている。

まあ、居候させてもろてるんやから、当然のこと。

毎日、お母さんに大量のご飯やお菓子を食わしてもらっていた。それはもう沖縄のおばあのカメカメ攻撃みたいなもんで、あの世代のお母さんは、若い衆にはたらふく食べさせるのが愛と思っていて、それを受け止めるのも、うまく受け流すのも、また愛かもしれない、笑

その量がかなりtoo muchだからね、、、

北斎(犬)の散歩も大事な仕事。

あとお留守番や、荷物の受け取り、時にマスコミを蹴散らして車を止めるのも。

 

なんでここに来たかというと、

もともとの思想はどうあれ、人権を侵害されている人たちだと思ったからだ。

あとは、秋葉原で、某首相に対して、帰れコールのなか、排除されている籠池さんの姿が、同日、高江の工事再開で排除された自分とまったく同じような写真だったからだ。

人権を踏みにじられるものの、側に寄り添うものがいない世の中。

社会のバランスが崩れていくなかで、自分にできるのは、まず寄り添うことだから。

会いたくなった。味方したくなった。

秋葉原で、ケータイ返せ〜!家の中のものがない〜!と叫んでいた、あのお母さんに、お父さんに。

 

実際、居候させてもらって感じるのは、驚くほどのイメージのズレだった。

メディアが作った像と籠池夫妻の実像はかなりズレていた。

お父さんはもっと狡猾な遊び人と思っていた。

新地あたりでダンディにブランデー傾けてるおっさんやと思ってた、けど違った。

めちゃくちゃ、真面目な人だった。遊びのない夫婦だった。

古くさい人だった。昭和の人たちだった。

全力で教育のことだけ考えて生きてきた人だった。

その純粋さやまっすぐさが、ゆえ、過去の差別発言や右翼思想など、あかんことにもつながったと思うし、全く許せないし、幼児教育に関わってはならんと思うけど、とにかく、すごく正直な人だった。

裏表ない人、そこに驚いた。

果たしてこんな人が、一人で計画して、国有地の値段交渉をできるか?と言うとかなり疑問なのだ、その件はまた後で触れる。

 

一方、お母さんは、なんだろう。

性格としたら、本当に大阪のおばちゃんを煮しめたような人で、おせっかいだし、せわしないし、よく笑う、感情むき出しな人、

自分の事情聴取の日なのにおれのパンツまで勝手に洗濯してくれたり、

掃除機かけながらノートパソコン踏んだり、

大声と、ささやき声しか、声の種類がなかったり、笑

かなり漫画のような人だが、かわいくもあり。人間味に溢れた愛すべき部分のある人。

まあ、かつて国粋主義者と結びついていた頃の話を聞くと、

きっと増長していたと思う。保育園の保護者からのクレームとか、最低だし。差別発言も看過できない。

でも今は、社会的に制裁された、お金も、プライバシーも人権もすべて奪われつつある。

だから、お母さんなりに反省した姿が、僕の目の前にはあった。

生まれて60年信じてきたものが、共依存してきたものが崩壊した。

というか、バレそうになった途端、自分たちを切り捨てた。

その衝撃の中で揺れているお母さんを見つめた。

今、自分たちをギリギリ守ってくれているのは何か、

国体でも教育勅語でもなく、日本国憲法と民主主義なのだ。

それに気づき始めている、変わり始めている。

「やっぱり民衆の声を聞かん政治はあかんで」とか、急に、民主主義覚えたての中学生のような素朴なことを言いだしたり。

その一方、日常で無自覚にうっかり差別発言をして、そこを菅野さんや圭希さんや、マスコミにまで怒られたり、謝ったり。

なんせ生まれて60年、おじいちゃんの代から生長の家(日本会議のルーツ)なのだ。

人生の根幹にまで染み付いた思考のクセは、急に抜けるはずもない。

だけどお母さんは口走る。

「今まではずっと、谷口先生(生長の家)の言うことさえ聞いてればよかった、でももう違うんやな。人間は何歳からでも変われるんやで太郎くん」

お母さんはいつも自分に言い聞かせるように言う。

そこに僕はささやかな希望を感じる。

もがいている、揺れている姿に、生身の人間を感じる。

この家に来てわかったのは、お母さんもお父さんも、極右思想の持ち主、差別主義者というより、新興宗教の信者なのである。

生長の家の根っからの信者。

だからこそ、その生真面目さやまっすぐさが、差別思想さえも迷いなく受け入れてしまうのだと気づいた。

怖い話でもあるが、そこから一歩踏み出し、外の世界に気づいた今、少しづつ変わっていく彼らの姿を見つめたい、寄り添いたいというのが今の僕の想いだ。

 

「すべてのことは砥石や、自分を磨いてくれてる砥石やおもてんねん」

それが昨日僕とお母さんが交わした最後の言葉になった。

 
唐突に彼らは逮捕された。

逮捕=悪。というめちゃくちゃ浅はかな世論誘導により、この問題は補助金不正問題として矮小化され、幕引きされようとしている、が、そうはいかない。

国有地の値下げに関する音声データが今日公表された。http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00365964.html

まだ操作も及ばずに、証人喚問にも出ずにのうのうと逃げている連中が、この国の権力の中枢にいること。

ぜひとも、もう一度考えていただきたい。

本丸は国有地値引き問題である。

補助金の不備を指摘され返金することなど、ニュースにならないレベルで、どこの自治体にもあることだと、豊中の某市議に聞かされた。

じゃあなぜ、籠池夫妻だけ逮捕までされるのか?

権力に近いものは罪を逃れ、権力に邪魔なものは必要以上に断罪される。

恐ろしい、今の権力構造が、この場所からは透けて見える。

そして昨晩、大阪地検特捜部がまた家宅捜索をした。

局面は急展開した。

また、最前線に居合わせてしまった。

夫妻が逮捕された夜。

肩を落とす、佳茂さんとまゆみさんに、沖縄の話をした。

運動は、ゆるく、しなやかにしたたかに、鋼のような心では折れてしまうから。

山城博治さんの話をした。

沖縄で闘い続けてる人々の話をした。

高江では小学生まで国に訴えられたという話をしたら、佳茂さんも唖然としていた。

高江の石原さんたち家族の話をした。

いつでも愛とユーモアを、というガイドラインがなぜあるか。という話をした。

距離を超えて、籠池家に、高江の愛とユーモアが灯った。

大丈夫、これ以上の底はない、と肩を組んだ。

 

個人が、人権や民主主義を守る知恵や方法を、僕は沖縄で学んだ。

僕の中に沖縄が生きている。

あの人たちの笑顔も怒りも生きている。

だから大阪地検特捜部とも渡り合えたんだ。

涙が出てきた。

 

僕らは今、距離を超えて、立場を超えて、連携できる。

砂金を集めるような日々の積み重ねが、政権の支持率を一年でここまで追い込んだ、いよいよイナダもやめた。

 

僕は個人の力を信じている。

その個人たちの少しづつの力によって、大きなものさえ動かしていける。

去年の今頃には信じられなかったことが起こる。

おれたちにはできる。

これからも民の力をつなげ、心と心に橋を架ける、そういう存在であり続けたいと思う。

皆さんもゆるくつながってほしい。

砂金を集めるような日々が、いつかきっと輝くのを、僕らは知っているのだ。

 

大袈裟太郎」