Kids made

2014年2月17日(月) ブログ
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可愛い、嬉しい動画がファンサイトで紹介されていたのでぜひ、皆さんにも観てほしくて^_^

イタリアの子どもたちが作った動画なんだそうですよ。

世界中で起こっている不幸な出来事の数々は
「子どもから子ども時代を奪った事が根源である」
と生涯、ぶれずに子ども達を護ろうと努力したマイケル。

きっと喜んでる(^O^)

ホワイトチョコレート

2014年2月16日(日) ブログ
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チョコレートムース、バレンタインデーも終わったので、
(そうそう、製菓用のホワイトチョコレートがあるので一度ホワイトチョコのムースを作ってみよう)
と思いました。

作り方は普通のチョコレートムースと同んなじ。
でも湯煎で溶かすと微妙にトロミが違います。
ホワイトチョコレートのほうがちょっとザラッとした感じ。
なのでいつもより、より素早くすべてを合体させましたよ。

トッピングはココアではなく、白さを生かしてココナッツプードルを。

さあ、試食、試食^_^

う~ん、ブラックのより少し甘めかな?
でもとってもクリーミー(^-^)

タナ・ローン無地

2014年2月15日(土) ブログ
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細かいところ、キラリと目立たせたいところに、つい出番の多いリバティ・タナ・ローン。

私は普段はもちろん、お世話になっている大丸神戸店アネックス7階のアンジェラスさんで買うのですが 残念ながら無地は限られた色しか置いておられません。

黒、生成り、薄いブルー、薄いピンク、薄いイエロー、薄いグリーン、紫、ターコイズブルー…

でも実は輸入品だともっといろいろあるのです。
しかももっとインパクトのある強めの色、可愛い色が。
通販で試しにカットクロスを買ってみましたがやっぱりとっても素敵!
特に写真上段真ん中の[ブルーグリーン]なんてなかなか無いんですよね。
スカイブルーもキレイ^_^

こういうのを見るとヤル気、膨れます。

美しさと縫いやすさで大人気のリバティ・プリント。

今年も大丸で又リバティ・フェアがあるのです。
5月21日(水)から27日(火)までの一週間。
又、ゆう風舎も参加させていただきます。
その期間中、たぶん21日か23日にワンディレッスンも開催しますので何かアップリケしてみたいなあ、と思われる方はぜひ今から予定を空けておいて下さ~い。
もちろん、リバティをチョコっと使った手軽なものにしたいと思っています。

特に遠くにお住まいで
(相生まではなかなか…)
と思われる方はぜひ!

又詳細が決まりましたらホームページで紹介させていただきますね。

でも…。

もちろん一番来ていただきたいのはこちら…相生のゆう風舎の実店舗です。
今年の作品展は
5月1日(木)から13日(火)までです(水曜日は定休日でお休みさせていただきます)

先日、
(母と一度行ってみたい)
とお便りを下さった東京のKさんに書かせてもらったように5月は一番良い季節です。
もちろん、どこも、ですが、自然がいっぱいなだけよけいに^_^

ぜひぜひ今から予定しておいて下さいね。

またまた雪の日

2014年2月14日(金) ブログ
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週末になると大雪。
しかも今日はバレンタインデーなのに。

ま、しょうがないですよね。
家であったかくしてテレビでオリンピック観戦、という方も多いでしょうね。

ジャンプでもフィギュアでもないけれど、この間JJさんが紹介して下さったエピソード、マイケルらしい話だけど、しかも何人もの人にそんな事があったんだけれど世間一般にはあまり知られていない話、JJさんにも許可をいただいたのでシェアさせていただきます。

「私は15歳だった2000年に、珍しい型の骨肉腫と診断されました。
その年の8月に化学療法を始めることになっていました。
知っている人は多くはありませんが、マイケルは誰もが訪れ遊園地を楽しめるように
1年に何度か、ネバーランドを開放していました。
なにもかも無料でした、、乗り物に乗ることも、ゲームをするのも、食べることも。
ネバーランドによく行ったことのあった私の友人がある夜、
その年の8月初めの2週間、遊園地が開放される予定だと教えてくれました。
私は、化学療法を始める前の週に連れて行ってほしいと両親に頼みました。
医師たちは皆、私の体調が思わしくないことが心配だと言い反対しましたが、
私はそのことを両親に話しました。

私たちは、ネバーランドの門をくぐりぬけると
遊園地に辿りつくために何マイルも車でいかなければなりませんでした。
私たちが車で曲がりくねった道を降りていくとき
今でも説明できないような何かが私の上に降りて来ました。
それは平穏感のようなものでした。

家族と車から降り、誰かとともにチェックインすべきなのか
どうしたらいいのかわからないでいると
男性が私たちの方に歩いてきて、自己紹介をしました。
そして、私の両親にすべての動かし方を説明をしました。
私たちは自分たちの名前をサインし、他の案内を受け、リストバンドをもらいました。
その男性は、乗りたいものに乗り、食べたいものを食べ、
どんなゲームでも遊べるのだと言いました。
時々マイケルが外に出てきて、みんなにあいさつするのだとも。

両親がその男性にお礼を言った数分以内には、私は父と一緒に大観覧車の頂上にいました。
私たちはそれに連続して3回乗りました。
綿菓子やポップコーンをもらう列に並ぶ前に、私たちは何時間も乗り物に乗りました。
私たちはお菓子を持ってテーブルに座っていると、
子ども達がある方向に向かって走っているのに気付きました。
私はテーブルのイスの上に立ち上がってみましたが、何も見えませんでした。
数分後、その子ども達が私たちの方に向かって移動し始めました。
そこにはマイケルの姿がありました。
子ども達が腕や足を引っ張り、抱きついたまま、大きな傘をさして立ち、笑っていました。

母は私の手をつかむと、彼の方に向かいました。
私たちは自己紹介をして、母は彼にとても素敵な時間を過ごしていると伝えました。
そして、私のガンのことや、来週から化学療法を始めることをマイケルに話しました。
母の言葉を聞くと、マイケルは私の頭に手を置き“”God Bless you”と言いました。
彼が私に触れた時、私たちがネバーランドのゲートをくぐった時に感じたのと同じ
平和と安らぎのようなものを感じました。

彼はそこで2分ちょっと私たちと話をし、彼は去りました。
私は家族や子ども達と乗り物に乗り続けましたが彼に会えたことが頭から離れませんでした。
夜帰るとき、私たちが到着した時に話をした男性が父を呼び止めメモを手渡しました。
そのメモはマイケルからで、私たち3人を彼とのディナーに招待すると書いてありました。
迷うことなく父はその招待を受け
その男性は私たちを母家へと続く別のゲートへと案内しました。
家の正面に到着するや否や、私は驚きました。
大邸宅だと思っていましたが、そうではありませんでした。

小さくはないのだけれど、大きくもありませんでした。
私たちが外に到着すると、彼に仕える数人の人たちが私たちを迎えてくれました。
私たちはその夜、マイケルと彼の子ども達と一緒に夕食をとりました。
この日は私の人生で最高の夜になりました。
夕食の後、彼は両親に、一緒に祈ってもいいか尋ねました。
彼らは当然イエス、と言いました。
私はそれまでも、そして今までも、彼がしたような祈りを聞いたことはありません。
私をその祈りに涙が出ました。
彼が祈りを終え、目を開けると、両親も涙を流していました。

その後マイケルは、その日見ることができなかったいくつかの場所を案内してくれました。
彼は私たちに、ゲームコーナーや映画館を見せてくれました。
ネバーランドの映画館は、よくある映画館ではありませんでした。
本物の映画館にあるようはシートだけではなく、
病気で起き上がれない子ども達のためのベッドもありました。

案内をしてもらった後、私たちはマイケルにさよならを言い
すべてのものに感謝のきもちを伝えました。
数日後、母が彼からの電話を受け取った時の彼女の驚きようを想像してみてください!
彼は、私たちがネバーランドに到着した時に書き込んだサインから
私たちの電話番号を得たのだと思いました。

彼は母に私がどうしているのか尋ね、母は彼に月曜日に化学療法が始まると話しました。
彼は直接彼に繋がる電話番号を母に伝え
週の中ごろに私の様子を電話で教えるよう頼みました。
母は同意しました。

私は月曜日の朝、化学療法を始めるために病院に行きました。
医師が病室に入ってきて、両親に座るよう言いました。
私たち3人は、ガンが広がったと言われるのではないかと心配になりました。
彼らは、治療を始めるために、2日前にCTスキャンと血液検査をしていたのです。

医師は両親を見て話し始めました。
“これをどう言ったらいいのかわかりません。
これの説明の仕様がないのですが、、、ガンが見当たりません。
私たちが撮影したどの画像にも、その傾向がないのです”
母と父と私はそこに座り、ただじっと彼を見つめていました。
そして、ついに母は号泣してしまいました。
私たちは病院を後にし、家に着くと母はまず最初にマイケルに電話をしました。
彼女は電話を握ってまま泣いていたので困惑していると、母が私に電話を手渡しました。
同じように、彼も明らかに泣いていました。

マイケルは何年も私たちの家族と連絡を取り続け
1年に何度も挨拶をするために電話をくれました。
プレゼントやカードを送ってくれました。
もう10年、私はガンから解放されています。
ネバーランドに行ったときに一体何か起きたのか、私には説明できません。
ネバーランドに行った後、重い病が回復したのは私だけではありません。
そういう話は決して公にされませんでした。
なぜなら、マイケルがそれを望まなかったからです。

彼は素敵な人でした。
子ども達だけではなく普通の人たちにもあんなにもやさしい人に
私は会ったことはありません。」
Michael Jacksonを語らせて! 

スポーツ好き

2014年2月12日(水) ブログ
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(私もとうとう歳だなあ)
と、思うのはオリンピックを以前より夢中に思えないことからでもですよ。

以前はもっともっと熱く応援していたと思います。
何度も同じ場面をテレビで見たり…

今はテレビ番組であんなに「メダル!メダル!」と言わなきゃいいのに、と腹を立てるほうが多いかも?
高梨沙羅さんだって気の毒のように思ってしまいます。

ところでまだ若いOさんはだいのスポーツ観戦好き^_^

オリンピックが始まって嬉しそうです。

自身も学生時代はバレー部のアタッカーとして活躍していたスポーツマン。

なので20代半ばからゆう風舎を知ってくれてパッチワークを始めて、お母さんはビックリだったそう(^O^)

そんなOさんのリバティシリーズ第2弾のパッチワークキルト、完成しました!
たーくさんのリバティを使ったドレスデンプレートのパターン。
美しいデスね~‼︎

新作キット、アップしました!

2014年2月10日(月) ブログ
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2014年、新春トップバッターの絵キルトキット、出来ましたよ。

ちっちゃい子なのに縫い物大好きな女の子のお話。

季節はあんまり関係ないので[その他]のところに入れました。
2ページ目になってしまいましたが【新着順】に直していただくとトップに出てきます。

見て下さいね。

たつの

2014年2月9日(日) ブログ
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昨日の雪。
今日はこんな感じ。
今よりもうチョイ若かったNyaさんはプチ雪だるまを作っていたけど、今度の雪はみぞれっぽくて雪だるまや雪合戦には合わなさそう。

今日は日中とても良いお天気だったのでおおかた溶けてしまいましたよ。

ところで。

夜、テレビを観るとどうしてもチクチクが出来ないのて普段(キリッ)と我慢して自分の仕事場へ行くのですが。

オリンピックもニュースでダイジェスト版は見ますが…。

土曜日はどうもいけません。

BSで「土曜は寅さん]というのをやっていて…。
それが又ちょうど夕食終わったころに始まるというか…。
懐かしくてつい始めだけ観てしまうと…。
もうどうしても演技達者な皆さんに引き込まれてしまいます。

何度も何度もみたことあるのにね。

それでもお茶の間の喧嘩シーンが終わった頃、なんとか(キリッ)と踵を返すのですが昨日はつい
(明日、休みだし…《今日、第二日曜日》)
と、見入ってしまいました。

だって、今は亡き宇野重吉さんと太地貴和子さんがあんまりよくって。
上手いなあ(^o^)

しかもこの話の舞台になった龍野市(今はたつの市って標記します)ってすぐお隣の町なんですもの。
連れ合いも知り合いの多くも龍野高校卒で、映し出されてた町並みはお馴染みのとこなんです。

もちろん、以前にも観たんです。
でも、この歳になって観ると又味わいが違うんですよね~^_^

寅さんや虎屋の皆さんや貴和子さんの場面はともかく、宇野重吉さんや岡田嘉子さんの場面とか、若い時にはなんとも思わなかったかも?

雪化粧

2014年2月8日(土) ブログ
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どうしても一年に1日はあります、こんな日。
(すみません、雪国でお住まいの方にとっては大袈裟なことですよね?
北海道にお住まいのマイケルブログの方が1月一度しか更新しておられないのを訝っていたら、毎日雪下ろしの日々だったとありました)

とにかく今日は商売にはなりません。
車で出勤して下さるスタッフさんもお休みにしてもらって開店休業状態です>_< それでも… よく見ると、やっぱり雪景色は美しいですね。 いつもとおんなじカラー写真で撮っても[白黒写真]。 中国や日本の画家が墨絵で表したのもよく分かりますね。 せっかくもらった時間! 今日はじゃあゆっくりレシピを書いたり、次の作品の準備をしよう… そんな風に大抵のことはプラス思考でいける私ですが… 放射能の事はそういう風にいかないところが厄介なところです。 昨日の記事、紹介するのをためらっていたのは(開けて下さったのに長すぎてひいてしまわれた方も多いと思います。そんな方は最後の方だけでも読んでみてください。平井さんも「あとの話は全部わすれてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください」とおっしゃっています。原発のある地域に住む中学生の悲痛な生の声が載っています。)うちのブログとの温度差と、私が知ったのが遅すぎて(いまさら…)かなあ?と思ったのですが。 そうではありませんでした。 今朝の朝日新聞にこんな記事が… 「甲状腺がん 疑い含め75人  福島の子、遺伝子解析へ」 れいによって県は 「被曝の影響とは考えにくい」 と言っているそうです。 被曝の影響かどうか、まだ誰にもわからないのにそう言うのはおかしいと思います。 子どもの甲状腺がんか…… 辛い。

知ってほしい…

2014年2月7日(金) ブログ
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44種類の布、7種類のリボン、12種類のビーズやボタン、13種類の刺繍糸…

新しいキットの材料組み、できました。

今、レシピを書いていますが、案外心配していたほど繁雑なキットではなさそうです^_^
昔はもっともっとややこしいキットだったんですものねf^_^;

それにしても 自分自身の楽しい仕事の半面、私には最近とても心にのしかかっていることがあります。

もちろんこのブログはゆう風舎の活動や様子をお伝えしたい、という目的なので(そぐわない)
かもしれないのですが。

それでもいっぱいご紹介したい記事の中からたった一つだけ、知ったからにはできるだけたくさんの人に伝えていくことが(私にできること)なのではないかと思いました。

どんなことか?というと…

数日前のブログで記させていただいたように、マイケルのファンブログから飛んでみつけた東大教授のブログ。
実はその人のブログの中でマイケルの事は10の内の1くらいなんです。
2011年3月11日に東日本大震災が起こり、福島の原発事故が発生したからです。
それ以来はその関係の記事で埋め尽くされています。

そして私がその記事の中から(これだけはどうしても読んでほしい)と思う文章はその東大教授が書かれたのではありません。
平井憲夫さんという、二十年間原子力発電所で現場監督として働いておられた方が書かれたものです。
「原発がどんなものか知ってほしい」
という思いで淡々と書かれたものです。
それも、1996年ですからまだ東日本大震災は起きていない時にです。

もちろんスルーしたい方は開けないで下さい。

少しだけ、はじめの文章を…
「私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中の話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被爆者を生み、大変な差別を作っているものでもあることがよく分かると思います。」

ここをクリックしていただくと読めます。http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

春の兆し

2014年2月4日(火) ブログ
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私の歳になると30代でも可愛い若者。
ましてや20代前半なんて、クシャミが出そうなほど若くて可愛くて…。

そんな人が一生懸命縫い物や編み物を覚えようとしている姿を見るとへんに感激したり^_^;

旧年中に彼氏と別れ、新しい自分をみつけるべく、前向きにスタートしたMさん。

福祉施設でのハードな仕事とプライベートの悩みや諸々で去年は30cm四方の小さなタピストリーを作品展ギリギリになんとか仕上げたMさんですが、今年はなんだか違う!

クリスマス前にしかけていた[サンタと男の子]はちゃんと仕上がっていたし…。
「すご~い!」
「あ、でも返し口の縫い方がよくわからなくて…」
「あーそんなのなんでもいいのいいの。それでいい、いい。すごーい!」

夏にしかけていた[風に乗って]もあともう少し。

かぎ針編みも習得したい様子。

一月にはお仕事関係の資格試験にも挑戦して来られ。

小さな肩、小さな声のMさんにとっても力強さを感じてオバサンはうれしい(≧∇≦)

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