アングランドさん

2012年12月6日(木) ブログ
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どこでみつけて買ったのでしょうか?

高校生の時からだーいすき!だった絵本があります。

ジョーン・ウォルシュ・アングランドさんの小さな絵本。

アメリカの絵本作家であることも140冊以上も絵本を出していることも、当時は何にも知らず、ただひたすら
(可愛い。かわいい。)
と、思っていました。

一番下のがその一冊。
17センチ×11センチの絵本。
でも、この半分より小さな絵本も持っていたのにあんまり小さすぎて今のところ行方不明です(>_<) どこの本屋さんでもみかけませんが、何年か前にガイドブックを片手に神戸にある古本の絵本屋さんに行った時、凄いプレミア付きの値段で売られているのを発見したことがあります。 そんな懐かしいアングランドさんの絵本の、なんと日本語版が、不意にポンと私の目の前に現れました。 連れ合いがどこかから発行されているのをみつけて仕入れてくれたのです。 なので売り物の本ですが、やはり私と同じく (懐かしいなあ!) と、手にとられる方もおられるでしょうか? 時代を遡って、古き良き物を未来に伝えていく、ってとっても嬉しいことです。 と、言うわけでもう1つ、〈古き良きもの〉復活に関するお知らせを。 「総てのエンターテイメントの原点にして頂点」 29歳のマイケルが魂を込めて造り上げたアルバム[BAD]とその各曲のショートフィルム。 その制作過程の貴重な映像やインタビューによって綴られた、スパイク・リー監督によるドキュメンタリー[BAD25]の編集版がこの12月28日の24時から、なんとNHK総合テレビでオンエア! マイケルをあまりご存知ない方にこそ観ていただきたい! 深夜なので録画して、お正月にでもぜひご覧くださいね(^o^)ね!ね!

スタッフと大阪

2012年12月5日(水) ブログ
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母が元気だった昔から…、大阪江坂にある、布地の店[大塚屋]にはよく行きました。

京都のノムラテーラーよりも広いので種類も多く、とってもリーズナブルなコットン各種からヨーロッパ製の服地、洋裁学校の生徒さんが使う特殊な生地までなんでも揃っています。

しかもウール生地など、他のお店よりも安いし、対応は速いし、親切だし、裁断台やレジでそんなに並んで待つ、ということもあまりないので嬉しいのです。

そんな[大塚屋]さんに、やはり(手作り好き)のスタッフ皆を連れて行きたい行きたい、と思いながら、ゆう風舎がお休みの水曜日が[大塚屋]も定休日で…。

ずっと諦めていましたが、諦めきれずインターネットで調べてみると、なんと月2回くらいは水曜日も営業!

そんなこんなで、今日、ちょっと早いけれどスタッフ忘年会を兼ねて行ってきました。

ところが、せっかく大阪まで行く、となると、グランドオープンした梅田阪急もちょっとは覗いてみたいし…。

盛りだくさんのメニューすぎて、皆が気に入ってくれた[大塚屋]も時間が足らないくらいでした。

私も、チュウコウさんではもう手に入らなくなって困っていた[バスバッグ]用の綿麻スペックを発見したり、温かそうなワンピ用の布をゲットしたり満足。

次の目的地、梅田阪急10階の(ワンフロアオール雑貨)という触れ込みの〈スーク梅田〉へ移動。
そこにある〈セッセ〉でお手伝いするKさんに会いたかったのですが残念ながらKさんは早番だったみたいで…。

とにかくウィークデーの水曜日というのに物凄い賑わい…(1人勝ち)はいいけれど、私が子どもの時から親しんできた[阪急]は遠くなりにけり、となんだか複雑な気持ちで駆け足で後にしました。

ところが、後でいただいたKさんからのメールがなんだか嬉しく…。
Kさんは私よりもっともっと年若い方なのに、
梅田も変わりましたね〜でもやはり私が小さかった頃の重厚な阪急百貨店が良かったです。クリスマスのウィンドウの飾りも今はリサとガスパールですが昔はもっと細かくて素敵なドールハウスでした。もしかしてのばらの村だったんでしょうか…」

そうです、そうです、立派なシャンデリアの横、[のばらの村のものがたり]でしたね。

マーケット

2012年12月3日(月) ブログ
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今年も、カフェの奥のガラスケースの中、半開きにしたガラス窓で頭を押されながら、連れ合いがなんとかドールハウスの前にクリスマス・マーケットを広げましたよ。

連れ合い作の、いつものドールハウスのお店に加え、売り物のブリキ製の立派なおうちがあって いっそう賑やかになりました。

BS放送ではよく[ヨーロッパの町歩き]みたいな番組を放送していますが、本当に今でもこんな感じですよね。

クリスマスではなくても広場では毎週末、いろんな物を売るテントが張られ。
人々はマルシェバッグを手に食料品、新田さんの本[ノスタルジック・パリ]では大きな物はキャスター付きの籠に…というふうに買い物していますね。

いつもそれを見て、
(あー、ゴミが少なくていいなあ)
と、ため息が出ます。

地元産の新鮮な野菜や果物はドバッとそのまま。
あってもシンプルな紙袋。
必ずビニールや発泡スチロール製のパックになっている日本の食料品の流通機構とは違うのですね。

確かに食卓がシンプルですもの。
お肉、じゃがいも、お豆、トマト、チーズ、ワイン…
あんなものばかり食べていて、鼻は高いし足は長いし得だなあ、と又ため息です。

美的感覚から行くと絶対、ヨーロッパに憧れる私ですが、やっぱりワカメも、筍も、里芋も海老の天麩羅も、御座候うも(?)おひたしも中華も…なんでも食べたい私は日本人でよかったのですよね(^^;

どうも[クリスマス・マーケット]って話題じゃなくなってしまいました(>_<)

メイキング・オブ・スリラー

2012年12月2日(日) ブログ
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存在は知っていても
(ま、いいか…)
と、思い、ところがふとしたきっかけで誰かのレビューを読んで欲しくなった本が到着しました。

今年30周年を迎えるというショートフィルム[スリラー]のメイキングです。

ダグラス・カークランドという写真家の撮った写真集ですが、文章もたくさん、しかも日本語版。
レアなショットや当時のエピソードも…ということで欲しくなりました。

まだパラパラと開けてみただけですが、メイキング、とあるだけに24歳のマイケルが狼やゾンビに変身する、そのメイク中の顔のアップが多くて…(>_<) ファンとしては可愛いマイケルだけでいいのですが。 なので表紙も、ええとなんと言いましたっけ?子どもの時によく楽しんだ見る角度によって絵が変わる… それになっていて、そばを通る度に怖かったり、イケメンだったり(^^; 中にあったロビン・ギブさん(ビージーズの)の言葉が悲しいです。 「昨年、まだ生きていた頃のマイケル・ジャクソンに対し、現在与えられている称賛のごく一部でも与えられていたならば、彼はまだ生きていたかもしれない。 これが悲しい現実だ。 ひとつ慰めとなるのは、彼は遺した作品によって勝利を収めるということである」

一緒に?

2012年12月1日(土) ブログ
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12月に入ったとたん、真冬の寒さ。
木枯らしがピューピュー!です。

そんな土曜日ですが、午後から、可愛い子どもさんを連れて沢山のお客様が絵本図書館を訪れて下さいました。

そんな中に、小学校5年生くらいでしょうか?
お母さんと二人で見るからに聡明な感じのきちんとした可愛いお嬢さんが。

とてもとても熱心に静かに丁寧に、絵本を見てくれていました。

本当に楽しんで下さってる…そんな思いで、こちらも嬉しい気持ちになりましたが、その後、ショップに移られてからも嬉しいお言葉。

じっくり見て、[もうすぐ…]のキットを予約して下さったのですが(スミマセン、切らしていました)
「春に来た時に[もうすぐ…]と[キッチンにて]とをどちらにしようか、とっても迷って…。
結局、[キッチンにて]を買って二人で作ったんですよ」
と、お母さん。

(うわあ!お嬢さんと一緒に?!)

こういう瞬間ですよね、この仕事やっててヨカッタ、と思う瞬間。

キットを開けた時にも小さな材料の揃っているさまにも感動した、と言って下さいました。
これはスタッフさんのおかげ…。

わーい、わーい!
又ガンバろっと!

干し柿のブランデー漬け

2012年11月30日(金) ブログ
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皆さんは柿はお好きですか?

私の実家では父も母も好きで、子供の時からよくいただきました。

それぞれ(お気に入り)があって、父は干し柿、母はトロッとスプーンで食べるような、よく熟れたふゆう柿。
私は…勿論どちらも(^-^)

ただし、京都ではやはり果物屋さんで買って食べていました。

なので、こちらへ来てからは庭の木になっているのを採って食べるなんて、超ラッキー!と思います。

義母が元気だった頃はこの季節になると、皮を剥いて紐で吊るして美味しい干し柿を作ってくれましたが、私はもちろんそんなことはようしません…。

ところが、明石にお住まいのFさんが、珍しい、〈干し柿のブランデー漬け〉を作られる、という話は以前にも書きましたね。

申し訳ないことにまたまたいただきましたm(__)m

前はカスタードに混ぜたババロアのケーキにしましたが、今度はちょうど無くなった洋梨の缶詰めの代わりにアーモンドベースの焼き菓子にトッピングしてみました。

ちょこっとハシキレを試食。

漬け汁のブランデーも少し混ぜたので、香りのよい甘い美味しいケーキになりました。

高辻通り烏丸東入ル下ル

2012年11月28日(水) ブログ
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色づく木々に見守られながら、京都までドライブです。

前にもブログに書かせてもらった、シニア向けマンションに引っ越した、母の親友Mさんの元のおうちへ、という訳です。

京都市下京区高辻通烏丸東入ル下ル

子供の時から年賀状の宛先を書く度に
(すごい住所だなあ。ど真ん中…)
と、思っていました。

ところが、この住所、この日のために設置したカーナビに入力しても出てきません。
そんな地名は今はない??(電話はもう使ってなかったので)

もちろん、
「五条通りから烏丸通りを上がって京都銀行の角を曲がり…」
と、詳しくMさんから聞いていたのでスムーズに行けましたが。

子供の時に行ったイメージより、烏丸通りからすぐ!想像以上に(ど真ん中)でした。
昔はデパートの[高島屋]はこのすぐ隣にあったそうです。

そんな場所で代々続いた[森寅たんす店]の娘だったMさん。
指に生まれつきの奇形があったため、生涯独身、それでも持ち前のセンスと努力で服飾デザイナーとしてのアトリエをここに構えていたのです。
一階は改造して大きな三面の姿見やソファーセットのあるアトリエ、二階は古い日本間の部屋。

シニア向けマンションに居を移してからは愛着はあっても持っていけない絵や家具の処分を少しずつ、という感じです。

私達に譲って下さる絵や戸棚、マンションに移動させる物、ワイワイ楽しく準備完了。

荷物とMさんを乗せて今度は新しい住居の電話番号をカーナビに入力。
ところがこれ又、新しすぎたのか?まだ入っていない??

実は山科にあるマンションまでの道順に自信がなく、お年寄りを乗せてうろうろできない、とカーナビの購入を決心したのですが…。

「そこをまっすぐ!あそこを右!」
Mさんは全くカーナビいらずでした…(>_<)

キットではないと…

2012年11月26日(月) ブログ
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私が考えたキットを、細かいパーツを揃えて組んでくれるスタッフがいて、そして
(作ってみよう)
とキットを購入して下さるお客様がいて。
とっても有難いことです。

これからも可能な限り、楽しいキット作品を作っていくつもりです。

が、…キットにはしない、という作品も又楽しいのです。

(この布、たくさんあるかなあ?)
とか
(ここはちょっと面倒くさすぎるヨナア)
という心配をすることなく、何をどう使おうが(私の勝手!)という分です(^^;

春に向けての作品、木立ちの中に一軒、八百屋さんもあります。

下絵を描いた時点から
(う〜ん、この野菜達を一つ一つアップリケするのは無理! 何か良いもの探してこなくっちゃ)
と思っていました。

なんでも〈お役立ち布〉のリバティプリントを配した後、先日西宮ガーデンズや岡本のナイーフや三ノ宮のユザワヤを回って買ってきたビーズや薄手のフェルト等でなんとか…。
赤い小さなウッドビーズとグリーンの刺繍糸でプチトマトにするのはマイ・定番です。

中段左につけたのは〈ナイーフ〉で買ったビーズですが、どうも自然の実?
なんとなく、小さい時によく取って遊んだ〈数珠玉(本当の草の名前は知りません)〉に赤と黒の塗料が塗ってあるような感じで穴がめちゃくちゃ細く、糸を通すのに困りました。

〈ナイーフ〉には東南アジアなどからやってきた(なんでもないもの)があって楽しいのです。

つづき

2012年11月25日(日) ブログ
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ちゃんと、仕事もやっていますよ(^^;
でも、やっぱり今日は昨日の続きを…。

「ネバーランドは子ども達を引き付けるものだという人もいました。
それは本当です。それを意図していましたから。
でも、彼らが言うような意図はマイケルにはありませんでした。
彼の意図は子ども達に危害を与えることではありませんでした。
彼のたった一つの意図は、子ども達に魔法と喜びを与えることだったのです。

私は20年に渡り彼を見て来ました。
マイケル自身に人を惹き付ける魔法のようなものがありました。
子ども達はただ彼について行くのです。
マイケルが子ども達のためにおもちゃを買っていたトイザらスに行ったことがあるのですが、振り返ると大勢の子ども達が私たちの後ろにいるのがわかりました。
マイケルは変装していたのに。

人は彼を孤独だと言いましたが、彼は孤独ではありませんでした。
彼はいつでも人を惹き付けていました。
気になることもありました。
彼に殺到する人たちを目にするのは、押し寄せる波を見ているようでした。
彼の周囲にいる人たちが狂乱状態になってしまうので彼はどんな服でも素早く脱ぐ練習をしなければなりませんでした。
彼以上に早く服を脱げる人を、私は見たことはありません。

裁判の前、そして裁判中、彼は見捨てられると感じていました。
世論の法廷で彼は有罪判決を受けており、公正な裁判を受けられるか懸念していました。
もし自分が収監されたら子ども達がどうなってしまうのか心配していました。

彼は睡眠にトラブルを抱えていました。
海沿いにある友人の家を訪れた時、眠れなかったら私のところに降りてくるよう彼に言いました。
私を起こしてしまうことを彼は心配していましたが私はかまいませんでした。
彼が孤独で、そして悩んでいたことをわかっていましたから。
私達は長い時間話をして過ごしたり、時には朝日を待ちながら浜辺を歩いたりしました。

彼は眠れなかったのです。人の生きる意味、人生の意味を奪われたらあとはなにが残るでしょう?

私はみんなに本当のマイケルを知ってほしい。
世間での自分の良い行いを口にしたら贈り物の恩恵がなくなってしまうんだ、そうマイケルはいつも言っていました。
だから彼は人道的な行いを内密にしていたのです。
彼が世界や子ども達のためにどれほどのことをしていたのか、誰も知らないでしょう。

―ディビッド・ノーダール」

読んで下さい

2012年11月24日(土) ブログ
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夕べ又、(伝えたい)記事に出会いました。

パッチワーク関連の事だけ読みたい、という方や「長いのはパス!」という方はどうぞスルーしてくださいね。

でも、(もめ事)等はセンセーショナルに報道するくせに、こういう話となるとちっとも報道してくれなかったアメリカのメディアのために、せめてファンが自分達の周りの人に少しずつ伝えていかないと…って思っています。

一人でも二人でも、心にとめてくれる方がおられるように…。

ディビッド・ノーダールさんの言葉です。

「私はマイケルの絵を描いただけではありません。
ネバーランドに作る乗り物のスケッチと、病気の子ども達とその家族のために建てようとしていたマンションの絵をかくよう彼に頼まれました。
重病の子ども達に希望、前向きな考え、笑顔と魔法を与えれば症状が良くなることを彼は知っていました。
マイケルによると、暗く静かな病室は喜びや癒しを与えるどころか衰えさせてしまうのだそうです。
彼の考えたマンションには大きな出窓があって、森の中のツリー・ハウスのようになっていました。

重病の子ども達は夜を恐れて目を覚まし、怖くて眠れなくなることがあると彼は知っていたので、彼は大きな窓を望みました。
だから彼は24時間アニメを上映するための屋外映画館を建てようとしました。
子ども達が目を覚ましても、窓からアニメを見ることが出来るように。

マイケルは知っていました。
絶対に知っていました…間違いなく。
子ども達を癒すことが自分の宿命なのだということを。
それが彼の使命だったのです。
彼は世界中の孤児院を訪れました。
彼が建てたものもあるし、病院に子ども達のウィングも作りました。
医師をバルカン諸国へ送り、サラエボに医療品を乗せたボーイング737機を送ったこともありました。

マイケルは子ども達を愛し、彼は子ども達のために生きました。
子ども達はマイケルにとって何よりも大切なものでした。
彼が生きる意味は彼らだったのです。
マイケルは仕事のすべてを子ども達に捧げました…
世界の子ども達に、すべての私たちの子どもに。

ネバーランドは子ども達に捧げられ、絶えず工事をしていました。
ディズニーランドに似せたのは意図的にしたことでした。
彼は自分の使命としてこの世界にいる子ども達の支援を目指しました。
彼は子ども達を擁護するために、そして子ども達のための多額の寄付をするために世界を旅しました。

それが彼の生き方であり、彼が生きる意味だったのです。
児童虐待で訴えられたことが彼にとってどんなことだったのか、あなたには想像できますか?

ネバーランドのマンション計画にはマイナスイオンを作り出す滝が含まれていました。
マイケルはエンドルフィンを知っていたのでしょうか?(エンドルフィンとは脳内で働き、不安や苦痛を消し幸福感を与える神経伝達物質)

もちろん彼は知っていました。
彼は花のためにネバーランドに音楽を流していました。
そうすることで花の成長を促すと知っていたからです。
彼はヒーリングのことをとてもよく知っていました。
マイケルはいつでも本を読んでいました。
喜びがホルモンと心に影響を与えることを知っていました。

彼はネバーランドでのいくつかの工事を秘密にすることを望んでいました。
訪れる子ども達がそこで遭遇するであろうすべてを前もって知ることのないように、喜びと驚きがあるように。
それがどう子ども達を喜ばせ、どう感じさせるのか、彼は知っていたのです。

でも…マイケルのための魔法は消えてしまいました。
マイケルは魔法が大好きで、それを絵の中にも求めました。
そんなふうに、彼は意識的に子どものマジカルな目を通して世界を見ていたのです。
それが好きだったから。

子ども時代の喪失感を彼が抱いていたのは本当です。
でもそれ以上に、先入観のない新鮮な目を通して世界を見ることが好きだったから、彼はそれを選んだのです。
汚れのないレンズを通して物事を見ることが彼の創造性を力強く自由に流れさせました。
川のように。

あの訴訟が起こされた時、何よりのものであった彼の創造の川は塞き止められ、そして乾いてしまいました。

つづく

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