もう冬物!

2013年9月9日(月) ブログ
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先日、わたし的に空白の一夜(ちょっとへたっておりました)、大丸の手芸売場店長のSさんから再三のメール、留守電…。
何やら慌てておられます。

(何かな?)と、メールを読むと、先日11月の末か12月の始め、ということで調整中だったワンデイ・レッスンが大丸の都合で前倒しにしてほしいとのこと。

11月6日。

その日は空いていて問題ないのですがいつものように課題作品は一ヶ月くらい前に仕上げないといけません。
よく聞くとそれどころではなくて、大丸本店のお客様向けダイレクトメール(孔雀通信かな?)に載せるためには今週中にアップリケ部分だけでも…、と言われました。

(ヒエぇ~、そ、そんな…)と、始めは思いましたがよく考えてみると、他のものをスッパリとお預けにすれば出来なくもありません。

なんとなく、
(去年は秋物のバッグだったから今年は冬物のバッグにしよう)
とは思っていたので、寝ながら一生懸命考えました。

ワンデイ・レッスンだから、
難しすぎちゃダメ
細かすぎちゃダメ
材料がある程度、数がいけるものじゃなくちゃダメ…

やっぱり女の子一人を配しましたよ。
少し値段が上がってしまうので散々迷いましたが、やっぱり後ろにはフェルトとプリントファスナーの外ポケット(これはとっても簡単なんです!)をつけることにしましたよ。

まだまだですが、皆さん、ぜひご参加下さいね( ´ ▽ ` )ノ

パンの香り

2013年9月8日(日) ブログ
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今の絵本図書館は本当に楽しいんです。いろんなお店が主人公。

入ってすぐの所にこんな美味しそうな絵本を見つけたので用事があったのについつい座り込んで読んでしまいました。
きっと、この間、美味しいパン屋さんへ行っていろいろ買ってきたからかも。

[はらぺこあおむし]でお馴染みのエリック・カールさんの[プレッツェルのはじまり]

働き者のパン屋さんが、わがまま国王夫妻のおかげで、ぐうぜん(プレッツェル)を生み出したよ、というお話。

わがまま国王夫妻は勝手だけれど、ヨーロッパのほとんどの素晴らしい文化はその時々の(わがまま国王夫妻)や貴族のおかげで作られたものでしょうから、これもあながちありえなくもありません。

でも、本当のプレッツェルの発祥は
「これこれですよ」
と、巻末にちゃんと書いてあります。

それにしてもカールさん独特の、先に自作の色画用紙を作っておいてカッティングしていく技法で描かれた村もパンもとっても秋らしい色合いで、パンが焼けるこうばしい香りがする気がするくらいですよ。

カールさん、今年で84歳。
これはもちろん、もっと若い時の作品ですが、日本では初出版。
白いお髭のお元気そうな写真が嬉しいです。

宮崎監督

2013年9月7日(土) ブログ
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「今度は本気」
宮崎駿監督の記者会見、今朝の[ズームインサタデー]で詳しくやっていたので、朝の忙しい時間にも拘らずついみてしまいました。

いつもいい感じですねえ。
ユーモアがあって、温かくて、キッパリしてて。
権威を被りたくない人。
憲法改正の動きに反対を唱えた人。

そうですよねえ、歳と共に年々体力の衰えを感じて、(自分の出来る事)を逆算してみる事。
今まで通してきた職人魂は貫きたい事。

それにしても奥様も素敵^_^
毎日の手作りお弁当。
引退しても「これからも毎日よろしく」
という監督に「フンっ」と答えられたとか…^_^

たぶん、絵本のコンセプトの原点であるのと同じ、
「子ども達に(この世は生きるに値する)という思いを伝えたい」
と、今!言って下さってありがとう(^o^)

そんな宮崎監督作品のアニメ、まだ新作の[風立ちぬ]は観ていないけど、私としての永遠の一位は何と言っても[トトロ]です!
あの映画は理屈を超えて素晴らしいと思います。

それまでディズニーアニメや外国のアニメ一辺倒で
(日本のは絵が、ね)
と思っていた私の概念を気持ちよ~くくつがえしてくれました。
あの風景は日本ならではですもんね。

ちょっと似たような、風景の中で暮らしている私。
今でも山の方から「ほーほー」と声が聞こえてくると、トトロがいるような気がするし、突然ワサワサ~と風が動くとネコバスが渡っているんだナ、と思うことがあります。

写真はそれこそ、20何年前、二年生のコーラスが[となりのトトロ]だったのが嬉しくて、
「作ってあげるね」
と買って出て作ったトトロです。
コーラスが終わると後ろから見物です^_^

海の底

2013年9月6日(金) ブログ
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今日はやっと晴れました。
ここ何日か、日本全国大変なお天気でしたね。
ゲリラ豪雨は定番になってしまいましたが、竜巻まで!

でも私が一番(心配)と思ったのは、どこかの魚場で普段はかからない深海魚が多数捕れたとのニュース。
何かの予兆でないことを祈ります。

ところでIさんの初めての挑戦。
今、一生懸命海の底を作っておられます。
もちろん、Iさんの作りたいのは深海魚ではなく、もっとロマンティックな人魚姫のいる海底。

絵本を見ても、写真を探してもなかなかピッタリ!というのは見当たりません。

私に相談していただいても、シュノーケル恐怖症の私では全然ラチがあきません。

とにかく海の色の布を集め、深みから上の方へ上がっていく感じにパッチワーク。
今は海底の岩作りです。

下絵を描かないで重ねて縫っていく方法、Iさんは初めてなので戦々恐々。
でも、とっても楽しみです。

怒りソング

2013年9月2日(月) ブログ
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たくさんの小布をセットしていく私のキルトキット。
(申し訳ないなあ)
と思いながら、今日もスタッフさんに頑張ってもらいました。
新作のキットもとりかかってもらいましたよ。

ところで、昨日のブログでマイケルの受けた酷い仕打ちに対して地団駄を踏むファンにマイケルが
(言うかな?)
と思うこと、もう一つあります。

「そんなに悔しがらなくても大丈夫。僕はちゃんと曲で表現してるから」

と、言ったかどうかはわかりませんが、そうなんです。

マスゴミに対して何にも語らなかった彼。
それにインタビューにせよ、人と話しする時には女の人より優しい静かな口調で話す彼ですが、曲のなかではハッキリ言ってボロクソです。

オブラートにくるむどころか、ハッキリ名指しで怒ってたり、どなってたり(゚o゚;;
そこまで言っていいの?
敵、作るよ、
と心配になるくらいですが彼はひるみませんでした。

だいたい人気絶頂期の大ヒット曲[ブラックorホワイト]で堂々、白人至上主義集団KKKに宣戦布告しているのですから、後どんな目にあうかさえも覚悟の上だったのかも、と思います。

しかも彼のスゴイところはそれらの曲どれもが、楽曲として素晴らしい、というところです。
歌詞の意味が解らなくってもビートの効いた、ノリノリのリズム、しかも深い音楽性…

 「良い音楽は永遠に生き残るから…」
言い方は適してないかもしれませんが、それが彼の復讐なのかも?と勝手に溜飲を下げています。

[タブロイド・ジャンキー]しかり、[D.S]しかり、[マネー]しかり…

でも、聴いていてなんとも言えない気持ちになるのは、そしてそれが彼の彼らしいところですが、相手を攻撃するだけではなく、虐められる自分自身を(モンスター)として描く…そんな歌も多いのです。

数ある名曲の中からイチオシはやっぱりこの曲とこのダンスを…

目には目を、ではなく…

2013年9月1日(日) ブログ
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今朝、ケータイを開けてみたらビックリ!
Uちゃんからのメール、
「やっぱり殺されたヨ」

エー!(゚o゚;;だ、誰が殺されたの?Uちゃんの知り合いが??!

よく見るとその前にもメールが。
「先生、テレビつけてみて、フジテレビよ!」
もっとよく見るとNさんからも同じ内容のメールが。

それでわかりました。
私は夏のヘロヘロでなくても11時には寝に二階へ上がってしまうものですから。

昨日、なんだかセンセーショナルな見出しでマイケルのことをテレビ番組の中ですることは朝の新聞で知っていました。

でも、マイケルのファンというのは、私のような新参者でさえももうテレビとか編集出来るものは信じられないんです。

でも、UちゃんもNさんも大好き。
可愛い性格の持ち主ですし、(マイケル)と聞いて私を思ってくれてありがとう( ´ ▽ ` )ノ

私も気になって、裁判の毎日の証言や世界中のどんな小さなニュースでもマイケルのこととあらば載せて毎日更新してくれる幾つかのサイトを見てみたのですがどれもマーレーの証言にはふれていませんでした。
真偽を確かめているのか、信憑性にかくのか?

それにしても、またもやフジ、ですか。

フジといえば(お)なんとか言うキャスターや(で)なんとか言う外人タレントが酷いデマをしゃーしゃーと言っていた事実が。

JJさんも「見ちゃった。編集の力ってスゴイ」というような事だけ…

とにかく、酷い目にあったんです、マイケルは。

2005年の裁判の時にはどのメディアも完全にマイケル有罪の立場で番組を作り、キャスターや解説者がしゃべり。
なので、完全無罪が証明された後もとてもひっこみのつくような雰囲気ではなかったので、誰一人、
「自分たちは間違っていたかもしれない…」
とは言わなかったどころか、陪審員や裁判長こそおかしいと言わんばかりに、
「スーパースターだから無罪になった」
と喧伝したのです。

執拗に、マイケルに罪を着せようとした悪名高き地方検事トム・スネドンとか、メディアの大御所とか今どうしているんでしょう?
ダイアン・ソーヤーという女性キャスターなんて今でも出ていますよね。

人間出来ていない私なんかは心の中で、
(絶対許せない。なんらかの形で思い知らせることは出来ないの?)なんて思いますが…。

マイケルはそんな事を望んでいないのはファンなら誰でも解っています。
(もっとやるべきことがあるんじゃない?)って。

なのでマイケルファンの仇討ちは、ひたすらマイケルの素晴らしさを出来る限り伝えていくこと。
マイケルの名に恥じないように一生懸命生きていくこと。

それを実行しておられるJJさんは本当に優しい人でした。

写真はBOXギャラリーを訪れて下さった時、真赤な薔薇とひまわりの花と一緒にお土産に下さった袋です。
ちゃんとこんなスタンプ作ってられるんた(*_*)

中身は?…ないしょ(-_^)

出来ました

2013年8月31日(土) ブログ
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10月9日から一週間。
大丸神戸店本館7階で催される[ホビーアーティストの世界](大変なネーミングですね(~_~;))に並べていただく新作一つ目、出来ました。

題して[リバティ・ショップ]
44cm×44cmの小さなタピスリーです。

いろいろ作るにしても、どうも私はまずはこういうのを作らないと落ち着きませんf^_^;)

この間買ってきたリバティと手持ちのをチビチビ、28種類も使って楽しかった~!
と言っても、実は一番気にいっているのは裁断台の引き出しです。

[パリのメルスリー]という本をめくっていると、いろんな色のガラスの丸いノブがついた引き出しを売り場のテーブルにしてあって。
(これが作りたい)と思って、リバティを引き立てる素朴な麻で引き出しの線を刺繍しなくてもいいようなラインの入った布があったらなー、と探したら…
あったんです、あったんです、ちゃんとショップに( ´ ▽ ` )ノ
ミニボタンもリバティの色と合わせました。

もちろんこれもキットにしますが、ネットショップではもう少し待ってて下さいね。
大丸の催しが終わってから、って感じです。

次はちょっと子どもファッションを…

クレイクラフト

2013年8月30日(金) ブログ
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私が卒業した京都の桂高校は普通の公立高校ですが私服でした。

なので毎日、
(何を着ていこうか?)が、大変。

好みの傾向はいろいろでしたが当時はやっぱりアイビー全盛期。

小さい頃から母手製の服を着ていた私がやたら、既製服に憧れた時代でもあります。

頼んで母に作ってもらったタータンチェックのプリーツスカートはなんだか布が分厚すぎるのよね?
自分で編んだツイードヤーンの丸首セーターはなんだか形が野暮ったいのよね…

そんな私の目に映るTちゃんのファッションはとっても完璧!

個性的で可愛い子の多かった同級生の中でも、特に自分を押し出すタイプでもなく(オトナ)で、でもいつも流行の服をさりげなくクールに着こなすTちゃんは私の憧れの的でした。

そんな雰囲気はたまに参加させてもらう同窓会で会っても変わりません。

そんなTちゃんも、暑い東京へ来てくれました。
京都在住の皆はときどき(食事会)なるものを、楽しんでいるみたいだけど私はなかなか…
なので、BOXギャラリー閉館後、階下の[Do Mago]で同じく京都から駆けつけてくれたDと三人で久しぶりにゆっくり食事しながらのおしゃべり…楽しかったなぁ~(^◇^)

そんなTちゃんから昨日封書が届きました。

そこには私が送ったスナップ写真のお礼と共に、
「中略…今回少し驚いたのですが、2年前に○○の展示会のために作った作品がハットリの作品と似ていたんです。なんだか嬉しくなって写真を探してみました…」

写真を見てビックリ(((o(*゚▽゚*)o)))

ソフト粘土というもので作るクレイクラフトをずっとやっていて教室も持っていることは知っていました。
以前、ワンちゃんが座っているペンスタンドをプレゼントしてもらったこともあったし…

でもそれから幾歳月?!

(Tちゃん、すご~い!!(((o(*゚▽゚*)o)))
私の(粘土のお人形)という概念を覆してくれました。

「この、本屋さんの古そうなペンキの壁の感じはどうして出したの?」
「この、並んでいる本はどうやってあるの?」
「この、…」
心の中は質問事項でいっぱいになりました。

いつも、
「ハットリはよく頑張ってる」
と、励ましてくれる彼女。
彼女こそ、頑張ってるんだな、相変わらずさりげないな、と胸が温かくなりました。

両親の介護、妹さんの看病…数年間の谷間を越えて、時間を取り戻しつつある彼女。
これからどんな素敵な作品を作っていくのか?
楽しみが増えました。

ありがとうの日

2013年8月29日(木) ブログ
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少しの涼しい日々を貰って、いろいろなことが動き出しています。

三人展の方は案内ハガキ用候補の作品を続々納入。
アイロンをかけてもらった後、連れ合いが写真を撮っていきます。

私の(リバティ第1作目)ももうすぐできそうですし、新しく取り組む作品の草案作りに入った方も…

でも、今日はもう一つのアニバーサリー。
マイケル・ジョセフ・ジャクソンがアメリカ、ゲーリーの小さな町で7番目の子どもとして産声をらあげた日です。

普通の「ハッピーバースデー!♪」は、その歳まで生きれておめでとう!だけれども、もう亡くなった人の場合は、
「生まれてきてくれてありがとう!」の日。
キャサリンさんに
「産んでくれてありがとうm(_ _)m」の日。

まだご存知無い方に少しでも彼の素晴らしさを知らせたい…
屈託の無い笑顔の彼から笑顔を奪った社会の謎を知りたい…

そんな私の旅はまだまだ続きます。

2013年8月28日(水) ブログ
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今朝の朝日新聞の[天声人語]は、イプシロンのことでもなく、消費税ヒアリングのことでもなく…キング牧師のことでした。

有名な、
「私には夢がある。いつの日か、あのジョージアの赤い丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子とが同じテーブルに座れる日の来ることを…」
あの歴史的な演説から、今日が50年目だそうです。

と、偉そうに言っても、私もマイケルを知る前まではよく知りませんでした。
しかも、公民権運動の発端になったのが白人と黒人と二分されたバスの座席に抵抗した名もない若い女性の行為だったことも。

マイケルの曲にはその人のことやキング牧師こともよく出てきます。

マイケルもキング牧師同様、堂々と高らかに差別に反対しました。

その結果、キング牧師は暗殺され、マイケルはあの通りです。

彼のイメージを歪めるために大きな力が働いていたのでは?と思っています。

明日は彼の55回目の誕生日。
「来週は来れないので」と、先週Iさんが置いて行ってくれた美味しそうな梨を明日剥いていただきます。

おそらく日本中の大方のファンがそうするのでは?

それはこんなエピソードがあるからです。
転載させていただいてもいいかな?
2009年7月に、ソニー元会長盛田昭夫氏夫人の盛田良子さんがサイト[盛田昭夫ライブラリー]に寄せられた文章です。

「2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが此の世を去りました。
私と主人昭夫が、マイケルの公演を初めて観たのは、1987年横浜スタジアムの時でした。彼の音楽、そして抜群のダンスに魅せられて、私共は東京の自宅から横浜スタジアムへ、公演後はそのままウィークエンドを、別荘で過ごすべく箱根湖畔の家に向かいました。
現在のように携帯電話もなく、道路事情も悪く、夜半に別荘に着いた私のところに東京の家から電話がかかり、先程からマイケル・ジャクソンのマネージャーから度々電話がかかってきて、是非、ミスター盛田と話がしたいので、何時でもいいから電話を下さい、とのこと。私は急いで彼のホテルに電話をしました。
彼は、「今日、ミスター盛田が来て下さったことのお礼を言いたかったのです。そして今日は自分が100%満足のいくショーが出来なかった。声も出なかった。次回の公演には必ず今日以上のショーをお見せしたいので、是非又おいでいただきたい」と言って幾度も謝っていたそうです。
アーティストには、これが最高ということはありません。いつもいつもより良いものを作る努力をしています。それを人はわがままと言うかも知れません。

この後、彼は日本滞在中、ちょうど私の誕生日の自宅のパーティに参加してくれました。それがここに載せてあるスナップです。
ベジタリアンでほとんど肉・魚を食べない彼はご覧のように、私が用意した季節の果物 『二十世紀』、大皿一杯の梨を一人でかかえて食べてしまい、とうとう私共同席の者には一つも口に入らなかった記憶が甦り、今でも我が家の話題の一つです。

彼は我が家にある昭夫のおもちゃである自動ピアノやオルゴール、ミニチュアのストリートオルガン、さてはエジソン記念館から贈られた珍しいローカンのエジソンレコードを見つけて、一晩中子供のように楽しんで過ごしました。

この日本滞在中に、彼はソニーの本社、信濃町にあった当時のCBSソニースタジオ、ソニー・メディアワールド、銀座ソニービル等を訪問し、新しいソニーの製品の数々を手に取っては、次々と質問する何にでも興味を示す好青年でした。
私達は、お約束通り、1992年東京ドーム公演に招待され出掛けました。楽屋ではいつもオフィシャルな写真が撮れるようにスタジオが出来ており、いつも素敵な写真を撮っては数日後サイン入りで送ってくれたものでした。
1996年12月、ヒストリーツアーが東京ドームで開催されました。その時は、昭夫は既に病に倒れていましたが、どういう経緯か忘れましたが、私は彼の泊まっていたキャピトル東急に迎えに行き、同じ車に乗ってドームまで走りました。車の周りをファンの車が囲み、タクシーで追いかける人もありました。車が赤信号で止まる度に窓から、紙切れ、ハンカチが渡されます。彼は快くそれを受け取って、急いでサインをして、それをファンの方に渡すのは私の役目でした。キャピトル東急からドームまで幾人の人にサインしたか、彼は嫌な顔一つ見せず、喜んでサインしている姿を隣で手伝いながら、この人って本当に心の優しい人なんだなと、つくづく思いました。

彼は昭夫に会うことを本当に楽しみにしていました1995年「ヒストリー」が発売されました。その折彼は、昭夫の為に特別な盾を作り、アルバムにもサインをしてプレゼントしてくれました。
彼の送ってきた盾には、
“THIS ALBUM OF MY MUSIC WARMLY DEDICATED TO AKIO MORITA… 永遠の友情 FOR OUR EVERLASTING FRIENDSHIP. WE ARE LIVING IN THE SAME DREAM FOREVER… WITH ALL MY LOVE”
と書かれております。
1993年10月、昭夫が病に倒れたその時、海外から一番初めに届けられたメッセージは、マイケル・ジャクソンからのものでした。
それは彼自身が作ったヒーリングテープでした。 彼は彼自身の声で幾度も「ミスター盛田、ミスター盛田…」と呼びかけていました。「あなたは必ず良くなる。必ず話せるようになる…」。そして、彼の選んだ静かな曲が流れます。再び又同じ様に「ミスター盛田、…」。彼の呼びかける声が幾度も繰り返されるテープでした。そのテープの箱には彼自身の手書きで次のことが書かれていました。
『これを朝、昼、晩にかけて聴いて下さい。マイケル・ジャクソン』と。
 
マイケル直筆メッセージのカセットレーベル
 
私は、昭夫が朝起きる時間の10分前からこのテープをかけ、そして夜ベッドに寝かせてからこのテープが終わるまで聴かせて休ませることにしました。これは、6年余の間、昭夫が亡くなるまで、毎日続けられました。
1998年、ハワイ、ホノルルでマイケルの公演がありました。車椅子の主人を押して、このショーを観に私はホノルルのアロハスタジアムに出掛けました。
翌日、彼は私共のハワイの別荘に見舞いに来てくれました。昭夫が顔をくしゃくしゃくにして喜んだのは、申すまでもありません。今もその時のマイケルの優しい姿を思い出します。
昭夫が世を去って10年。
今頃、マイケルは彼が最も尊敬する先生であり、心の友でもあった昭夫に、彼がいつもしていたように、「どうしたら若い人達の心を掴むことが出来るだろうか」「どうしたら自分はもっともっと尊敬される人になれるだろうか」「誰を信じたら良いのだろうか」とマイケルの質問攻めに合っていることでしょう。
誰も信じる事が出来ず、子供に動物に安らぎを見出していたマイケル。
今天国にあって、静かな安らぎの中に、誰に気を遣うことなくゆっくり休んでいるのでしょう。
“アイ ニード ユア ヘルプ” 幾度も彼から電話が私に掛かって来ました。丁度10年前のことです。私はあの時、どうしてもっと彼の本当の声を聴いてあげなかったのか、と今悔やまれてなりません。昭夫の病状が一番悪い時で、私にはその余裕がなかったのです。
ごめんなさい、マイケル。
でも、私は今、あなたは誰の助けもいらない幸せな世界に居られると信じております。
2009年7月7日 盛田良子」
 
 

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